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鶴田 純久の章 お話

素焼きで釉を掛けないやきものです。
はにものの一つ。
普通には素焼きの盃をいいます。
瓦筒のこと。
昔は宮廷や神宮で供御を盛る具に用いました。
今もなお神事に用います。
その起原は明らかでありませんが、『日本書紀』(巻一四)に、雄略天皇の十七年3月、土師の連が所領七所の民に土器をつくらせ、朝夕御膳を盛る清器として進献したことがみえます。
これかカハラゲであるでしょう。
後世神事の供物具となし、あるいは儀式の時これを使用するのも古風を伝えているといえましょう。
「種類」『倭訓栞』『貞丈雑記』によりますと、間の物(三度入より小、平高より大)・塞鼻(大きさは灰焙熔程、大重に盛ります)・平高(深い土器で御通りのとき用います)・耳土器・臍土器・白土器・内曇・平賀などかあります。
『貞丈雑記』に「土器に大小あり、小さきを小重、大なるを大ぢうと云ふ、其より九度入、十一度入、十三度入、十五度入まで何れも二廻りづx大き也、十五度入より上に大なるはなし、五ど入、七ど人より上、段々大なるは酒もりの時、肴をもりて出す時用るなり、旧記にかはらげ物と有は此事也、臍かはらけの事を小ぢうと云ふは、三度入の内に重る小き土器なる故なり、三度入は、盃に用るかはらけ也、酒は盃に三度づx入る故に盃になる土器を三度入と云ふ、大ぢうは、三度入の外に重なり大なる故、大重と云ふ、五どう人は三度入よりは大なる故五ど人と云、七度入といふも九度入以下も同じ事なり、三ど入五度入は五はい入、三はい人といふ事にはあらず、段々に大きくなるゆゑ、三度入と云に本づきて云付たる名なり」とあります。
【産地】土器をつくった地で有名なのは、山城国愛宕郡幡枝(京都市左京区岩倉幡枝町)・木野(同岩倉木野町)、同紀伊郡深草(同市伏見区深草)、伊勢国多気郡有爾(三重県多気郡明和町)、やや降って武蔵国江戸今戸(東京都台東区)などであります。

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