中国清朝咸豊年間(1851-61)の景徳鎮の窯器。
道光(一八二一-五〇)の末年長髪賊の乱(太平天国の乱)が起こり、1853年(咸豊三)江西省景徳鎮方面もその侵略するところとなり御器廠も兵火にかかった。
長髪賊の乱は同治(1862-74)になってやっと平定したが、1859年(咸豊九)には英仏と戦端を開き、翌年には英仏同盟軍が北京を陥れ皇帝は熱河(河北省)に難を避けました。
世情がこのようであったので景徳鎮の窯業はほとんど廃滅に帰し、咸豊の年款を有する官窯は初期のものに限られ、残存するものは比較的少数であります。
しかもこれらは道光年製の中等品とほとんど区別し難いといいます。