行基焼 ぎょうきやき

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鶴田 純久の章 お話

須恵器の別称。
室町時代末頃に始まり、祝部土器の名称が普遍化した1887年(明治二〇)頃までの問、支配的な呼称として慣用されましました。
行基焼という名称の由来は、奈良時代に活躍した僧行基が窯を築き須恵器を創製したという伝説に基づきます。
行基の出生地は和泉国大島郡(大阪府泉北郡)とされていますが、この地はわが国の須恵器生産の一大巾心であった陶邑窯の所在地に当たっているため、行基と須恵器窯とが結び付いてこの伝説が生まれたものと思われます。
行基を窯業の祖とする伝説はこの他にも各地に残っています。
またわが国で最初に姫帽を用いて製陶したのは行基であるという伝説もありますが、いずれもまったく根拠はないようです。

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