交趾焼 コ一チやき

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鶴田 純久の章 お話

交趾焼という言葉はわが国の茶人間である彩種の釉軟陶を指していうものですが、それらの品が交趾すなわちコ一チン・チャイナ(インドシナ)でつくられた訳ではなく、交趾通いの貿易船によってもたらされたところから出た名であります。
本来の産地は不詳ながら福建か広東かともかく南中国の窯と思われます。
中国明朝には各地で法花という色釉陶がつくられた。
明三彩の一種ともいえる法花は、文様を白土の堆線で縁どりし、その線を境に黄・紫・緑・茶・青などの色釉で染め分ける法をとる。
法花には大作の壺・瓶・鉢などがあり本格的な陶磁といってよいが、わが国で交趾と呼ばれるものはこの法花の流れを引く地方窯の産らしく、ほとんどが香薬の類を詰めるための小容器であります。
おそらく初めは香薬品の容器として渡来したものがその色の美しさ、堆線文様のおもしろさを買われて茶席の香合として取り立てられるようになったのであるでしょう。
これらの香合は小形で異形が多いせいかすべて型造りのため、型物香合と呼ばれています。
土は灰白色でねっとりしたものと赤味のあるやや荒いめのと二種ありますが、窯場の違いによるのかもしれないようです。
わが国に渡って来だのは江戸に入ってからだから、その製は明末清初と考えられます。
江戸の茶人はそれらを文様や色彩からこまかに分類して大亀・台牛・菊蟹など六十四種を数えるが、意匠からみて中にはわが国の注文による作もあったと考えられます。

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