洪武窯 こうぶよう

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鶴田 純久の章 お話

中国明代洪武年間(1368-98)に焼造した官窯。
洪武末年(一説に二年)廠を景徳鎮の珠山の麓に設けて窯器を焼造し、上方に供してこれを官磁と称し民窯と区別しました。
大竜紅窯のほか青窯・色窯・風火窯・匝窯・艦燐窯などがあり計二十座。
その製器は土が細脈で、胎は薄く青・黒の二色があるようで、純素なものを佳とします。
器を製造したのち必ず一年余り坏を乾かし、さらに継櫨上でこれを削り施釉焼成します。
釉が漏れるものはこれを削り去り、再び施釉焼成します。
それゆえ釉は輝き、この点は民窯の及ばないところであります。
その彩色した器では青黒餓金のものがよい。
文献には以上のように記されていますが、遺品について洪武の製を確実に知ることはまだ困難であります。
というのは年款の入ったもので信ずべきものがない(おそらく年款を入れる制がなかったと思われる)からであります。
ただ元の青花よりやや施文が粗で、永楽(1403-24)のそれより文様の混んだ器を時に散見するから、それらを洪武窯のものと比定するより仕方がないようです。
これらの青花磁は概して染付の色が黒い。
この時期には良質の青料が欠乏していたからであるでしょう。
かえって釉裏紅にみるべきものがあります。
(『陶説』『景徳鎮陶録』)

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