高麗の陶磁 こうらいのとうじ

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鶴田 純久の章 お話

朝鮮高麗朝の陶磁に関する最も重要な文書は、中国宋代の徐競が1214年(宣和六)に記した『宣和奉使高麗図経』の記文であります。
その略に「青磁を高麗の人は弱色と謂ひ近年以来その製作巧みにして色沢尤も佳なり、酒尊の状は瓜の如く上に小蓋ありて蓮の花に伏す鴨の形をなす、また能く怨楳括甑花瓶湯積も作る、皆稿かに定窯の器の制度に彷ふ、故に略して図せず、酒尊は他器と異るところあるを以て特に之を著す。
俊貌の香炉また涸色なり、上に躊れる獣あるようで、下に蓮の仰けるありて之を承く。
諸器のうち惟ふにこの物最も精絶なり。
余は即ち越州古秘色、汝州新窯器と概ね相類す」とあります。
ただしこの書の図は今はないようです。
これによると高麗輩色窯の創始はおそらく宣和からそう遠くはないであるでしょう。
その窯跡は全羅南道康津郡大口面をはじめ各地に散布しています。
高麗時代につくられた陶磁の種類は高麗青磁・高麗白磁・高麗黒磁(黒高麗)に分かれ、高麗図経の書かれた1214年(仁宗二)前後から王朝末期まで続いました。
詳細については各項参照。

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