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鶴田 純久の章 お話

大名物。唐物肩衝茶入。
口縁の捻り返しがやや深く、甑廻りに沈筋一線があります。
肩はきっかりと衝き、胴より腰にかけて次第に張り、裾より以下はふっくらと丸味を持って狭まる。
土は鼠色、糸切はこまかく起点に食い違いがあります。
また小さなほつれとひっつきが各一ヵ所あります。
総体に黒飴釉の光沢が麗しく、胴に継櫨が浅く巡り、置形は共釉に黄色を帯びた一なだれが肩先双方からなだれ合い盆付で止まる。
このなだれに向かって左手にも同様に一なだれがあるようで、また胴に茶入の三分の二にわたりやや大きな沈筋があります。
置形に向かって右手に柿金気色の釉が肩先から裾廻りまで掛かり、胴紐下に黒釉色で縁どった柿金気抜けがあります。
また置形の右手に同じく黒飴の縁どりのある青釉抜けがあって一段の景色を添えています。
総体に黄釉・青釉・柿色が交錯して景色の変化は名状し難い。
唐物の小肩衝は極めて稀有なものですが中でもこれは形状・釉色ともに殊勝で、富士山肩衝と争うに足りる。
口縁から甑際までこまかいひびが一線あるだけでその他は無疵。
1599年(慶長四)徳川家康から伊達政宗が拝領したものです。
天保年間(1830-44)樋口肩衝・木葉猿・灰被などと共に大阪の仙台家金方炭保に預けられていたが、毎年曝涼の際には伊達侯から炭保方に使者が派遣されたといいます。
維新後樋口肩衝と共に岩崎家の蔵となりました。
(『玩貨名物記』『古今名物類聚』『古名物記』『大正名器鑑』)

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