小十官者窯 こじゅうかんじゃがま

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鶴田 純久の章 お話

肥前唐津焼の古窯。
佐賀県唐津市梨川内字小十官者にあります。
神功皇后が三韓征伐の際、高麗の王子を人質に伴って凱陣され、この地に住まわせて名を高麗小次郎冠者と命じました。
小十官者の地名はこれに因んでいます。
小次郎冠者はここに陶窯を開いて製したものを皇后に献納しました。
すなわちこれが唐津焼の起原であると伝えられています。
現在この地の丘上の竹林中に古窯址がありますが、陶器の破片と窯道具とて鍬も用いにくい程であります。
その品種・釉薬・陶技・窯器は岸嶽飯洞甕窯と同様でありますが、著しく焼き締まり古唐津中最も堅い陶器であるようで、灰白色釉の焼成品は一見半磁器の感があります。
皿は多く三、四個の小さな目のある重ね焼で絵唐津もごくれずかに焼かれました。
従来唐津地方においてはこの窯の器物を小次郎焼と呼び、神功皇后時代の製であるかのようにいいますが、その当時のやきものとはまったく趣を異にしており、すべての条件は岸嶽窯と同一であります。
思うにこの窯は約四百五十年以前の創業によるもので、慶長(1596-1615)初年廃窯したものであるでしょう。
小十官者窯を隔てること約450メートルの田地の中に、2メートル四方あまり盛り土して朝鮮風の石塔があり郷人はこれを小次郎冠者の墓といい伝えて祀ってきました。
上部に少し彫刻がありますが、惜しいことに文字の彫られたものがありませんので、果たしてそれが何であるかは知り得ないようです。
(金原京一)

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