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鶴田 純久の章 お話

文政・天保(1818-44)頃の京都の陶工。
自ら三世乾山と称して陶器を焼き、1831年(天保二)乾山の百回忌追善のためと称して鳴滝の土を採って香合をつくり、これを知人に分配しました。
乾山百回忌は1842年(天保一三)に当たるはずですから、1831年は八十九回忌であります。
呉介の所為はまさに名を売るための手段と評すべきであります。
(『日本陶甕史』)

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