多久唐津 たくからつ

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鶴田 純久の章 お話

朝鮮役に出征した鍋島直茂は大勢の韓人をつれそって佐賀栄城に帰陣しました。
藩では彼らを城下の北唐人町と呼ばれるところに収容しました。
この韓人達の内に李参平という一陶工がありました。
李は多久領に預けられ陶工と言うことが判って陶器の製造を命じられ、唐人古場・高麗谷窯を開きます。
のちに磁器土の元を発見し国内で始めて磁器の生産に成功しました。

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