陶範丘 とうはんきゅう

marusankakusikaku
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鶴田 純久の章 お話

陶工。『日本陶磁器史論』所載の「南京焼由緒書」によると、父陶明徽は中国明代の人で、江南江寧府に住み南京焼をつくり、神宗の順治年中(1644~61)韃靼の乱を避けて高麗(朝鮮)に来た。範丘は文禄年中(1592~96)日本に渡り肥前国金立山(佐賀県神埼郡)に留まって陶器をつくったが、この時家永彦三郎(壱岐守)が彼の門弟となって南京焼の伝授を受けたとなっている。しかし、順治元年はわが国の正保元年に当たり、年代の隔たりがあまりにはなはだしくこの記録は信じ難い。

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