1883年(明治一六)十月二十一日生まれ。1905年(明治三八)一月東京医学専門学校(現東京医科大学)在学中、召集されて同校を退学、日露戦争奉天の戦に従軍。帰国後東京丸の内(千代田区)の自宅にて家学を継ぎ、蜷川式胤の業績を研究。大正時代に入り京都八条大宮(南区)の自宅に移り、式胤の残した明治美術史の研究に没頭、特に陶磁器類に興味をもち以後もっぱら古陶器の研究にて一家をなした。雑誌『日本の茶道』『茶わん』『阪急美術』『茶と花』『清閑』『焼もの趣味』『陶磁』『茶道』などにその研究成果を掲載し、著書としては『蜷川式胤追慕録』『京洛の古陶』『仁清と乾山』『頴川と亀祐』『茶入百態』『名物裂布久路』などがあり、また『陶器講座』に「頴川と亀祐」を分担執筆、『陶器大辞典』出版に際しては小野賢一郎に協力を惜しまなかった。なお式胤の『観古図説』一~五巻を復刊してもいる。1943年(昭和一八)没、61歳。(蜷川親正))