京都の人。1835年(天保六)五月生まれ。早くから古物を好み、和漢洋の書物を多く読む一方東西の名家・諸社寺を歴訪し家宝を見てまわるな多年にわたって見聞を広め研究した結果、つい好古界に名をなした。1869年(明治二)よ太政官・外務省・文部省の諸官を歴任したが病のため1877年(同一〇)辞職。退官後自宅に楽工舎という印刷所を建て自身の著述を刊行、多年にわたって蒐集した書籍・古美術品などを平生一般に公開した。恩恵を受けた者は日本人に留まらず、シーボルト、モース、キョソネらの外人も来て学んだといわれる。1885年(同一八)八月二十一日没、50歳。著書に『観古図説』がある。また早くから博物館設立の必要を主唱した。
※かんこずせつり(二重)