藤村庸軒 ふじむらようけん

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鶴田 純久の章 お話

茶人。宗旦四天王の一人、庸軒流の祖。1613年(慶長一八)生まれ。名は政直のち当直、通称源兵衛、反古庵・微翁と号した。京都の富裕な呉服商十二屋の養子。実家の祖父は近江国(滋賀県)久田刑部実房で、実房の妻は利休の妹といわれ、また実兄宗利は久田流の二世であり、その妻は宗旦の娘といわれる。庸軒は初め茶は織部・遠州の風を学んだが、のち宗旦に入門、その秘法た台子の伝を受けたのは庸軒ただ一人だったと伝えられる。また利休伝の香炉の茶はこれを三宅亡羊から伝受した。茶のほかに華道にも達し、特に文学を好み、儒学を三宅亡羊に学びその没後は山伏見人形崎闇斎についた。すこぶる漢詩をよくし、のちの編集に『庸軒詩集』がある。家蔵に名器が多く、また自ら好みをもって香合・棗・竹花入・茶杓などをつくり、その命銘には学識と機知に富んだものがある。1699年(元禄一二)九月十七日没、87歳。長男恕堅・次男正員ともに父の茶を継いだ。正員の著『茶道旧聞録』は父からの写書きが多い。のちの久保風後庵の『茶道望月集』は庸軒流の茶書として知られている。なお庸軒の弟子には尾形乾山・久隅守景・久須見疎安・比喜多宗積・北村幽庵らがおり、呉服御用をもっ特別関係のあった伊勢藤堂藩の茶頭に近藤柳可をつかわした。晩年黒谷(左京区)の西翁院につくった淀看の席は、もと紫雲庵と称されて有名である。

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