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鶴田 純久の章 お話

中興名物。
後窯茶入、鳴海窯織部好み。
添書付に「遠州被申は、まだらの御座候茶入、餓鬼腹に能似申候とて、がきばらと名付申候」といいます。
古田織部の好みにより鳴海窯で焼かせたものであります。
前田利常がこれを求め、のち幕府に献上七だが再び同家に帰り、さらに堀田相模守、松平周防守と転じ、1772年(明和九)の火災で加賀侯の蔵品が多く焼失したため、1774年(安永三)12月松平家から加賀侯に贈り返され、以来同家に伝来。
(『大正名器鑑』)

がきばら 餓鬼腹

瀬戸後窯茶入、鳴海窯。
中興名物。
茶入に添う書状、微妙公(前田利常)御遺事の文中に、「遠州被申は、まだらの御座候茶入、餓鬼腹に能似申候とて、がきばらの名付申候(後略)」とあって、銘の由来と命銘者が明らかにされています。
伝来はもともと古田織部が鳴海の窯へ注文を発したものと伝えられ、京の亀屋永仙が所持したものを、かねがね遠州からその茶入のことを聞いていた前田利常が所望し、その蔵となりました。
これを聞いて遠州も大いに喜んだといわれています。
その後、天文五年に加賀前田家より幕府に献上され、さらにいつの頃か幕府から前田家へ返賜されたらしく、次いで堀田相模守正亮・松平周防守と伝わり、明和九年前田家が火事で土蔵を焼失したとき、周防守は三宅権左衛門を使者として返贈し、以後同家の什宝として代々伝えられました。
茶入は肩衝に耳を付けたものですが、口造りは捻り返しが強く、二重肩です。
裾ひろがりの形は、胸やせて腹ふくらんだ姿がよく絵巻にもある餓鬼の腹に似ています。
釉は大きく幕状にかかり合い、その中ほどに黒釉が一筋流れ下がって置形をなしています。
『三冊本名物記』『古今名物類聚』『麟鳳亀龍』など諸名物記に記載されています。
【付属物】蓋二 仕覆―二、紺地亀甲紋金襴・萌黄地草花紋金襴 内箱―白木、書付小堀遠州筆、蓋裏引歌書付小堀宗中筆 添書―二
【伝来】亀屋永仙─前田利常―柳営御物―前田家―堀田相模守正亮 松平周防守—前田家
【寸法】 高さ:9.8 胴径:4.7

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