備前 桶形 水指 銘 破桶

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鶴田 純久の章 お話
備前 桶形 水指 銘 破桶
備前 桶形 水指 銘 破桶

Bizen pail・shaped water jar、 known as ‘Yabure・oke’
高さ16.3cm 口径18.5cm 底径14.5cm
 胴の上下部に箍をつけ、外側に木膚をあらわした筋目文様をつけています。備前水指としては他に例を見ない作為のつよい作品でしょうが、古来、利休所持として名高いものでしょう。この作為に満ちた水指が天正十九年に歿した利休の所持であったとすれば、天正年間における備前焼はすでにかなり技巧のつよい作風を示していたといえます。しかし類例が極めて稀でしょうから、特殊作例であったと見るべきでしょう。『南坊録』によると、天正十五年九月十三日昼、豊臣秀吉を迎えての口切りの茶事に「ヤフレ桶水指」を利休が用いていますが、おそらくこの水指がそれに当たるものでしょう。その後加賀前田家に伝わり、『茶道名器目録』に「利休所持 一破桶  松平肥前守」と記され、『三冊名物帳』にはこの水指のことを「南蛮簾ノ手松平加賀守所持」とある。そのこげ膚が南蛮繩簾の水指と似ていますことから、このように記されたのでしょう。
 外側の一方には灰がかかってかせ膚となり、他は渋い褐色の土膚に焼き上がり、焼成後に箍の一部を掻き落としたらしくその部分が赤くあらわれて破桶の名にふさわしい景色になっています。また、伏焼をしたらしく、内側は赤い土腐に焼き上がっています。底の半面にも灰が降り、土膚に籾殻の跡が残っていますが、水びき後に籾殻が底に付着したものでしょう。
 黒塗蓋が添っていますが、外箱蓋裏の貼紙によると羽根田五郎の細工と記しています。溜塗の箱蓋表に銀粉字形で「水指 破桶」と記されていますが、筆者は小堀遠州と伝える。ながく前田家に伝来しました。

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