清代。
名物裂。
京都島原の定家大夫の打掛けの裂であったところからの名称である。
島原遊廓が設けられたのは、寛永十七年(1640)であるから、この裂もそれ以後の渡来であり、康熙頃の織製になると思われる。
色の五枚糯子地に、桔梗・菊などの二重蔓唐草紋を、薄い黄茶または花色の緯糸で織っている。
同種の古様の裂に正法寺緞子があり、細川紹幸裂なども知られるが、そのいずれも明代末期の裂であり、紋様の整斉さと格調の 高さ:を保っている。
これらに比べると、定家緞子は紋様にくずれが目立ち、蔓紋にまとまりがなく、織技も見劣りするが、華やかさにおいては一段とすぐれている。