明代。
名物裂。
永平寺の開山道元禅師(1200~53)が、安貞元年(1227)帰国のとき、宋よりもち帰った袈裟の裂が本歌というが、実際には明代中期以後の織製になるから、別裂があったのかもしれない。
また一説には西陣織屋道玄の所持とも伝える。
地色は紺地で丁子唐草に蝶と虫をあしらった緞子で、同種の裂に寺沢緞子があり、地色は明るい紺または縹色で、上紋は鼠色で織り出されている点が異なっている。
寺沢緞子は秀吉の武将寺沢広高(1564~一六333)の所伝である。
なお彼は天正十五年(1587) 志摩守に任ぜられ、唐津城主となり、利休から根太の香合を贈られた人物である。
道元緞子も寺沢に比べて渋い麺の裂といえる。