


吹上文琳(ふきあげぶんりん)
中国製 中興名物 所蔵:松平直亮 伯爵
名称の由来
この茶入の美しい景色(模様や風合い)を、和歌山県の吹上の浜に波が打ち寄せる様子に見立てたものでしょう。『宗友記』には「吹上は、中国製の鶉斑(うずらふ:ウズラの羽のような斑点模様)の茶入であり、小肩衝ともいうべきものだろうか。
『秋風の吹上に立てる白菊は それかあらぬか波のよするか』(秋風が吹く吹上の浜に立っている白菊は、菊なのか、それとも白波が打ち寄せているのだろうか)」
とあります。ちなみにこの歌は、『古今和歌集』の秋歌の下に「同じ御時(平城天皇の時代)に行われた菊合(きくあわせ)の際に、洲浜を作って菊の花を植えたところに添えられた歌で、吹上の浜の形を作って菊を植えた様子を詠んだ菅原朝臣の歌」と記されているものです。また、『紀伊国名所図会』には「吹上は、現在の和歌山城の西の角をいう。また砂山といって低い岡があるのも昔の遺跡である。この吹上の浜というのは、西南の風が激しい時は白い砂を高く吹き上げて、一夜のうちに一箇所に吹き集めて山を作り、またしばらくすると吹き散らして元の平地となる。これは常に風が細かい砂を吹き上げるため、吹上の浜と呼ばれるのである。この地は昔から月の名所であったが、年月が経つにつれて名所も廃れ、青い海から月が出て家に入るような昔の風情とは変わってしまった」とあります。
寸法
高さ:約6.30cm(2寸8厘)
胴径:約5.45cm(1寸8分)
口径:約1.88cm(6分2厘)
底径:約1.82cm(6分)または約1.88cm(6分2厘)
甑(こしき)の高さ:約0.76cm(2分5厘)または約0.79cm(2分6厘)
重量:約52.9g(14匁1分)
附属品
・蓋:1枚(窠:くぼみあり)
・蓋箱:白木の桐製、松平不昧の書き付けあり
「吹上 蓋」
・御物袋(茶入を入れる袋):白羽二重、紐は遠州茶色
・仕覆(袋):2つ
白の極上繻子(裏は紫色の紋入り海気、紐は紫色)
縮羅広東織(裏は玉虫色の海気、紐は紫色)
・袋箱:白木の桐製、松平不昧の書き付けあり
「吹上文琳 袋」
・挽家(ひきや:茶入を収める筒):象牙製、合わせ口に筋があり、上に4本の筋、底に象牙の象嵌があります。
袋は糸錦(裏は縞模様の海気、紐は紫色)
・内箱:白木の桐製、小堀遠州の書き付けあり
「吹上」
包み布:白繻子(裏は浅葱色の海気)
・外箱:白木の桐製、松平不昧の書き付けあり
・外箱
「吹上 文琳」
包み布:花柄の布(裏は浅葱色の羽二重)
雑記
吹上文琳 中国製。中興名物。松平出羽守の所持。高さ約6.30cm、胴径約5.42cm、口径約2.12cm、首の高さ約0.88cm、底径約1.82cm、最も狭い所は約1.67cm、重さは約53.6g。袋は紺地の鳥襷(とりだすき)緞子(裏は樺色の海気)。挽家は象牙の中次(なかつぎ)型で、合わせ口の糸目の上に4本の筋、下に6本の筋がある。袋は糸錦(裏は鳥茶宇、紐は紫色)。箱は白木の桐で「吹上」とある。(茶入の図あり)
(『古今名物類聚』より)
吹上 中国製。小堀遠州の所持。(寸法や附属品の記述は『古今名物類聚』と同じ。茶入の図あり)
(『名物記』より)
吹上 中国製の鶉斑(うずらふ)である。小肩衝ともいうべきものか。秋風が吹く吹上の浜に立っている白菊は、菊なのか、それとも白波が打ち寄せているのだろうか。
(『宗友記』より)
吹上文琳 中国製。大名物。松平不昧公(雲州公)の所持。柿色の地に黒い釉薬が流れ落ちており、金属的な艶(金気)が強く極めて美しい。横に筋のように黒い斑点がある。本来の糸切りは少し荒く、土に釉薬が飛び散った跡が2箇所ある。土は白い。(寸法、附属品の記述、茶入の図あり)
(『麟鳳亀龍』より)
(備考)『古今名物類聚』には「中興名物」の部に掲載されていますが、『麟鳳亀龍』では中国製(漢)の「大名物」の部に入れられています。
吹上文琳 中国製。全体的に作りが良く、底は円座(平らな円形)のようになっている。糸切りの土は荒く、盆に接する底付近に釉薬の飛びがある。土は白く、口の作りが良い。胴に帯(筋)があり、地肌は鮮やかな柿色。置形(正面)は飴色で、その周りに黒い釉薬の斑点がある。土の露出は高く見え、赤土である。左回りの本来の糸切りが細かくある。口の捻り返しと肩との間に筋がある。(寸法、附属品の記述あり)
(幕庵文庫甲第九号より)
吹上文琳 中国製である。長谷川文琳、利休尻膨、志野丸壺と同じ時代の作である。
(松平不昧 著『瀬戸陶器濫觴』より)
吹上 中国製。小堀家所持。地肌は柿色で黒い釉薬が掛かっており、一面に斑点がある古瀬戸のように素晴らしい出来栄えである。(寸法、附属品の記述、茶入の図あり)
(幕庵文庫甲第六号より)
中国製。陶祖・藤四郎(加藤景正)が中国から帰国する際、中国の土に中国の釉薬を持ち帰り、焼いた中国風の茶入がこれである。これは「富士山」や「吹上」の類のものであろう。ただし、藤四郎の時代に中国から渡ってきたものか、この器を見ると、その作り具合が小瀬戸の六条肩衝などと同じであるため、これは藤四郎の作であろう。
(山澄力蔵氏本『茶入控』より)
寛政元年(1789年)4月28日、駿河国(静岡県)柏原の休憩所にて、未央先生(松平不昧公)が為楽庵主人(不昧公の弟である酒井宗雅)と偶然出会った。しばらく歓談し、携帯用の茶道具箱(籠箪笥)を取り出してお茶を点てた。その時の道具組は以下の通り。
・茶入:吹上文琳(名物)
袋:白の極上繻子 盆:酒井宗雅好みの松の木の盆
・水指:後ろ側に耳(取っ手)が付いたもの
・茶碗:黒の呑江(どんこう)
・茶杓:先生(松平不昧)の作
昨年、見附(静岡県磐田市)で「川渉(かわわたり)」と名付けられたものを、今日初めて筒から出した。
・建水(こぼし):朝鮮砂張(さはり)
・蓋置:信楽焼の夜学
掛物は夢窓疎石の一行書。最初は米倉家から頂いたお菓子を出し、次に玉島(酒井宗雅の家臣)から頂いたものを出した。
「吹上」の茶入を客に渡す際の手順は、道具の拝見を所望された時に、茶入を普段通り盆に載せ、袋は客から見て裏返して返すように盆に載せて出す。茶杓を出す。玉島茶碗が取り出され、箱のままの茶杓は見て返される。茶入と盆は客の手元に留められる。この時、互いに一礼し、茶碗、箱、茶杓を持って勝手(水屋)に入り、文琳の修覆(仕覆=袋)を持ち出して客へ渡した。
(酒井雅楽頭宗雅 著『逾好日記』より)
伝来
もとは小堀遠州の所持であり、のちに松平不昧公の茶の湯の弟分である姫路藩主・酒井雅楽頭宗雅に伝わりました。寛政元年(1789年)4月28日、参勤交代の途中の駿河国柏原において、これを松平不昧公に贈与したことは、前述の『逾好日記』に見られる通りです。
大正5年(1916年)4月23日、東京市の松平伯爵邸において不昧公百年忌の大茶会が開催された際、同邸内の茶室「明々庵」に出品・陳列されました。
実見記(実際に見た記録)
大正7年(1918年)5月7日、東京市四谷区元町の松平直亮伯爵邸において実際に拝見しました。
中国製の文琳茶入であり、口の作りは捻り返し(反り)が浅く、繰口(縁が丸く内側に反った口)で甑(首)が高くて下が張っており、なで肩です。その形が小さい割には手に取るとやや重く、これらが藤四郎(加藤景正)が中国の土と日本の土を混ぜて作ったとされるゆえんでしょう。
全体的に柿色の地肌に黒い飴釉が掛かっており、所々にウズラの斑点のような模様(鶉斑)があります。置形(正面)は飴色が強く、裾の土が露出している中まで釉薬が流れ落ちて掛かっており、釉薬の溜まりが厚く、光沢が一段と美しいです。
裾から下は薄い鼠色の土を見せ、底の周りにはヘラで削った跡があって少し窪み(括れ)、底の直径は約1.82cm(6分)と極めて引き締まっています。底面には糸切りの筋が10本あり、その上に黒い釉薬が飛び散った跡が数点あります。
小型で上品であり、無傷で非常に綺麗です。景色(模様や風合い)もとても面白く、首が小さくて胴が膨らみ、底に向かってすぼまっている形は、まるでウズラが首を伸ばして立っているかのような姿をしています。おそらく小品の中国製茶入の中でも最高の逸品と言えるでしょう。
【原文】
吹上文琳
唐物 中興名物 伯爵 松平直亮氏藏
名稱
此茶入の美しき景色を吹上の濱に波の打寄する有様に擬へしものならん、宗友記に「吹上、唐物の鶉斑なり、小肩衝ともいふべきものか。
秋風の吹上に立てる白菊は
それかあらぬか波のよするか」
とあり因に云ふ此歌は古今集秋歌下同じ御時(平城)せられける菊合に洲濱をつくりて菊の花植ゑたりけるに加へたりける歌吹上の濱のかたに菊植ゑたりけるをよめる菅原朝臣とあるものなり、紀伊國名所圖會に「吹上 同(濟)今(令)府城の西角をいふ又砂山とてち(ひ)き岡のあ(お)るもいにしへの遺跡なり此吹上の濱といふは、西南の風烈しきときは白砂を高く吹上て、一夜のほどに一處に吹あつめて山をなし、又しばしが程に吹散して、もとの平地となり、こは常に風眞砂をふき上る、これによりて吹上の濱とはいふなり、此地はむかしより月の名所にして、交苑古録かす/\あり、されば年歳累りて、名所も廢して蒼海より出て家に入るの風情とはかはりぬ」とあり。
寸法
高 貳寸八厘
胴徑 壹寸八分
口徑 六分貳厘
底徑 六分又六分貳厘
甑高 貳分五厘又貳分六厘
重量 拾四匁壹分
附属物
一 蓋 一枚 窠
一 蓋箱 桐 白木 書付松平不昧
吹上 蓋
一 御物袋 白羽二重緒つがり遠州茶
一 袋 二つ
白極純子 裏紫紋海氣 緒つがり紫
縮羅廣東 裏玉虫海氣 緒つがり紫
一 袋箱 桐 白木 書付松平不昧
吹上文琳 袋
一 挽家 象牙 合口に筋上に四筋底に象牙象嵌あり
袋 糸錦 裏縞海氣 緒つがり紫
一 内箱 桐 白木 書付小堀遠州
吹上
包物 白純子裏淺黄海氣
一 外箱 桐 白木 書付松平不昧
吹上
文琳
包物 花布裏淺黄羽二重
雜記
吹上文琳 唐物 中興名物 松平出羽守。高二寸八厘、胴一寸七分九厘、口七分、同高二分九厘、底六分、せまき所五分半、掛目十四匁三分、袋紺地鳥襷どんす 裏かばいろ海黄(氣)、挽家象牙中次、合口糸目上に四筋、下に六筋、袋糸錦 裏島(鳥)茶字(宇)緒つがり紫、箱桐白木 吹上 。(茶入圖あり)
(古今名物類聚)
吹上 唐物 小堀所持。(寸法、附属物の記事、古今名物類聚に同じ、茶入圖あり)
(名物記)
吹上 唐物の鶉斑なり、小肩衝ともいふべきものか、秋風の吹上に立てる白菊は、それかあらぬか波のよするか。
(宗友記)
吹上文琳 漢 大名物 雲州公。柿に黒なだれ、金氣つよく至てうるはしく、横に筋のやうに黒の斑あり、本糸切少し荒く、土に飛藥二ヶ所あり、白土(寸法、附属物、茶入圖あり)
(麟鳳亀龍)
(備考)古今名物類聚には中興名物の部に載せたるが、麟鳳亀龍には漢大名物の部に入れたり。
吹上文琳 唐物 惣體作能く、底圓座の様になり、糸切土荒し、盆付飛藥あり、土白口作よし、帶あり、地冴えたる柿、置形飴共廻りに、黒藥の斑有之、土を高く見る、赤土、左本糸切細か、口捻返し、肩との間に筋あり、(寸法、附属物の記事あり)
(幕庵文庫甲第九號)
吹上文琳 唐物なり、長谷川文琳、利休尻膨、志野丸壺と同時代なり。
(不昧公著瀬戸陶器濫觴)
吹上 唐物 小堀家地柿黒藥にて、一面に斑をきる古瀬戸の如く上出來なり。(寸法、附属物、茶入圖あり)
(幕庵文庫甲第六號)
唐物 藤四郎歸朝の時唐の土に唐の藥を持來り、燒所の唐物是なり、是れ富士山、吹上の類なるべし、但し藤四郎時代に唐より渡る物か、此器を見るに、其作合小瀬戸の六條肩衝などと同じ、是れ藤四郎作なるべし。
(山澄力藏氏本茶入控)
寛政元年四月二十八日、駿州柏原の小休にて、未央先生(不昧公)爲樂庵主人(不弟雪)に行逢ふ、暫く對話、籠箪笥出して點てる、如此。
茶入 吹上文琳 名物
袋 白極 盆宗雅好松木盆
水指 後面耳付
茶碗 黒呑江
茶杓 先生作
去年見附にて川渉と名付られ候を今日披く也
飜 朝鮮さはり
蓋置 信樂夜學
掛物は夢窓の一行、最初は米倉家より到來の菓子出し、玉島到來。
吹上をおくる次第は、道具所望の時に、茶入常の通り盆に載せ、袋客より見てかへす様に盆にのせ出す、茶杓を出す、玉島茶碗取出され、筥のまゝ茶杓は見てかへさる、茶入盆ともに留めらる、此時互に一禮ありて、茶碗、筥、茶杓持ち勝手に入り、文琳の修覆持出して客へ渡す。
(酒井雅樂頭宗雅著、逾好日記)
傳來
元小堀遠州所持にして、不昧公の茶弟、姫路侯酒井雅樂頭宗雅に傳はりしが、寛政元年四月二十八日、參勤交代の途、駿河柏原にて、之を不昧公に贈與せること、前掲逾好日記に見ゆるが如し。
大正五年四月二十三日、東京市松平伯爵邸に於て不昧百年忌大茶會を開催せる時、同邸内明々庵に出陳せらる。
實見記
大正七年五月七日東京市四谷區元町松平直亮伯邸に於て實見す。
唐物文琳にして、口作捻り返し淺く、操口にて甑高く下張り、撫肩にて、其形小さき割合に手取稍重く、此等が藤四郎の唐土と和土とを混合して作りたる者なるべし。總體柿色地に黒飴釉掛り、處々鶉斑あり、置形は飴色勝ちにて、裾土の中までナダレ掛り、釉溜り厚く、光澤一段美事なり、裾以下薄鼠色の土を見せ底廻り箆作ありて少しく括れ底徑六分にて極めて締りたり、底面に糸切の筋十本あり、其上に黒釉飛び數點あり、小形にして上品に、無疵にして綺麗に、景色も頗る面白く、頸小さく胴膨れ尻締り、鶉の首を伸べて立ちたるが如き姿あり、蓋し小品唐物茶入中の逸品と謂ふべし。


