

唐物 伯爵 德川達孝氏藏
名稱
青山播摩守忠成が二代將軍秀忠より拜領せる丸壺なり。
寸法
高 貳寸零五厘
胴徑 貳寸參分貳厘
口徑 九分
底徑 壹寸壹分五厘
甑高 四分八厘
重量 拾七匁貳分
附屬物
一蓋二枚 内一枚窼 袋箱懸子に入る
一御物袋 白縮緬
一袋 二ッ
萌黃地雲鶴純子 裏紋かいき 緒つがり紫
廣東縞織留 裏萠黄かいき 緒つがり茶
一袋箱 桐 白木 金粉字形
青山丸壺
蓋
袋
一袋箱の外箱 桐 白木 書付如次
青山丸壺
蓋
袋 二
船越漢島
雲鶴 弘化二巳年 四月御繕出來
享保十六亥年九月廿三日田安家へ御移徙之節有德院樣よ5御拜領 高橋寶藏
(備考) 高橋賓藏は江戶深川區高橋に在りし田安家の庫なり
一挽家 黑塗
袋 茶地万曆純子 裏紺無地海氣 緒つがり茶
一內箱 桐 白木 柳營箱
青山丸壺 金粉字形
一外箱 黑塗 面金 内部金梨子地
青山丸壺
一總箱 桐 白木 書付如次
享保十六亥年九月二十三日田安へ御移徙之節有德院樣より御拜領
青山丸壺
雜記
青山忠成 常陸介 播磨守 天文二十年岡崎に生る幼より東照宮に仕ふ。慶長八年六月千姬君豊臣秀頼に婚儀の時、御方違として崇源殿姫君を伴はせたまひ、忠成が邸に渡らせたまふ。此日台德殿も成らせられ、御遊宴ありて、丸壺の茶入及御紋置たる硯屏をたまふ。 (寬政重修諸家譜)
青山忠雄 和泉守 慶安四年信濃に生る、延寶七年四月九日遺領を繼ぐ、十五日襲封を謝するの時、父(宗俊)が遺物備前兼光の太刀、丸壺の茶入を献ず。
播磨守忠成―伯耆守忠俊―因幡守宗俊―和泉守忠雄
(寬政重修諸家譜)
延寶七年四月二十六日、青山和泉守、家督の御禮として金廿枚綿百把を献上。同因幡守遺物として、御茶入丸壺、御刀作 兼光金甘五枚を差上る。 (玉露叢)
延寶七年四月十五日 青山因幡守遺物
備前兼光刀代金二十五枚
丸壺茶入
(帝大史料本諸家遺物得物獻上記)
寶永六年十二月二十三日恭伯殿糊眼事遺物山邊主水正ョ以被差上
御脇差 光包 代金百枚 御茶入青山丸童
御臺所へ古今和歌集冷泉爲家筆 (帝大史料本文露叢)
(備考)恭伯は水戶家三代肅公の世子なれざも早世して家を繼かず、將軍の女を娶りて一女あう高松家より入りて此女婿たりしは四代成公なり而して恭伯は從三位權中將なりき。
寶永六年十二月二十五日 水戶殿遺物
光包脇指代金百枚 青山丸壺茶入
御臺所へ冷泉爲家筆古今集
(帝大史料本諸家遺物得物獻上記)
青山丸壺 袋高木漢東金梅鉢有萌黃地雲鶴純子。肩に細く一筋陽に出る、夫より下薄く面を取有之帶向半分よりすくなし、藥總體あめ、置形薄く、茶藥前二本先斗り少々濃藥溜りてとまる也外はうすくはきけしのやうになる、土紫、口作見事、置形なだれの横にとマ一所、底盆すれのやうになる、糸切脇段に相成(茶入圖あり) (庵文庫甲第十七號)
傳來
德川秀忠の女千姫豊臣秀賴く婚儀を結ぶに先ち、方違として青山播磨守忠成の邸に移る、此時秀忠も亦來り臨み忠成に賜ふに此丸壺茶入を以てす。爾來青山家の什物となり、伯耆守忠俊、因幡守宗俊相傳へ青山丸壺と稱せしが延寶七年四月青山和泉守忠雄遺封を襲ふに當り其父因幡守宗俊の遺物として之を幕府に献せり。而して其後幕府より之を水戶家に賜ひ寶永六年十二月水戶三代肅公の世子恭伯の遺物として更に之を將軍綱吉に献せしかば此茶入は再び幕府の什物となり享保十六年九月二十三日、吉宗將軍の第三子宗武江戶城田安門内に別邸を賜ふに際し、將軍吉宗より更に宗武に讓與せられしとなり。
實見記
大正九年十一月一日東京市芝區三田綱町德川達孝伯邸に於て實見す。
口作拈り返し淺く、飯下張り、其周圍に浮筋一線を繞らし、胴に茶入約年分に亘る沈筋一線あう、据以下朱泥色土を見せ、指頭形若くは細き轆轤目繞る、底面糸切細かく且つ鮮明なれども中央より稍片寄りたる處を平面に磨り减らし又底緣一部にギザくざ不規則なる篦作あり。總體飴色釉光澤麗しく腰廻りに一叢青璃瑠色あり、又肩先よ二ナダレの青璃瑠裾の邊に至りて止まる者あり、釉溜稍厚く青璃瑠色極めて麗はし、又此置形に向つて左手に柿色釉ヌケり置形より右手にも同様の景色あら、其外彼の青璃瑠ナダレに接續して黃色の襷あら光澤ある飴色釉の上に、青璃瑠色の麗しく現はれたる處ありて釉質頗る國司茄子に類せり。内部口緣釉掛り、以下轆轤繞り底中央キッカリざ渦狀を成す、口緣に一ヶ所繕ひある外、無疵、手取輕く時代古く、模樣鮮明にして美事なる茶入なり。



