

舊名 宗及丸壺 唐物 京都 龍光院藏
名稱
龍光院什物の丸壺茶入なり。元津田宗及所持せるにより宗及丸壺ともいへり。
寸法
高 貳寸壹分
胴徑 貳寸壹分貳厘
口徑 九分
底徑 九分
甑長 六分
重量 拾四外貳分
附屬物
一蓋 一枚 窠
一袋 三ッ
萌黃地卍字梅鉢純子 裏玉虫 緒つがり藤色
卍字純子 裏縞かいき 緒つがり紫
綾地金入純子 裏紫かいき 長緒紫
一箱 桐 白木 筆者未詳
丸传ほ
一添盆 菱形■内黑 外屈輪
縱徑六寸四分 横徑八寸七分 底徑 縦六寸五分 横四寸四分
箱 桐 溜塗
雜記
唐物丸壺茶入 龍光院什物 箱蓋遠州書之 丸つほ 一箇 盆 丸童添黑塗
菱形外の緣曲(盆の圖略す)一箇。
(寬政十一年板都林泉名勝圖會)
唐物丸壺 開祖江月和尚傳來所持什物。 (雲州松平家本名器錄)
天明八年九月二十五日、大德寺見物に相越、四時半登山、瑞源院に相越、夫より研首座案内にて山中諸寺見物。
龍光院 蜜庵かけものかけて茶事、茶終て茶器一覽如次。
一井戶茶碗 一曜變天目 一油滴天目 一青貝天目臺 一宗及丸壺 一筑紫文琳 一鶴頸 一春慶瓢簞 一菱盆 一内赤盆 一曲輪盆 一茶构宗及作
すべて十二品。 (酒井雅樂頭宗雅著逾好日記)
丸壺の茶入は筒長にして口の短きを好候也蓋は茄子の蓋同前に、落入蓋の榎實つく也。又當世取賣り詞に、茶入の筒を蜜柑といふは誤なら其物々の形に似たるを以て名を與へり、故になりは茄子、柿、柑子等、それそれに言ならはし候也丸壺と言ふも、筒丸き故名付候也。 (茶湯正傳集)
丸壺と云ふは蜜柑の丸き故なり蜜柑といふ名所は、茶入の胴を云へり。文琳、丸壺等斗りを蜜柑とは云ふなり、丸壺の形色樣々あり、大方小肩を持物なり、肩なくして胴の丸き姿もあう、又口こしき高く胴ひくき茶入もあり。 (万寶全書)
圓壺 長二寸四分二厘、口指渡一寸分胴廻り七寸分牛底一寸。口造捻返し尋常なり、但口甑高し、土薄赤色、但し微塵の砂ある樣に見ゆるなり、糸切華奢なり、下藥薄色にて、黑藥銀強きに銀梨子地あう、上藥は濃き黑藥なり、散し藥も同事也、尤濃薄き色あり、是を瀨戶藥の唐物と云へり。 (茶器辨玉集)
(参考)眞珠庵宗賢は古筆を極むる事妙を得茶にも志厚かりし數寄者共が、古筆を見てもらふ因みにてあつく待遇しぬ、庵の唐紙は蛇足が繪の蘆に雁なう、つひに燒失なくたて~有し。又唐物の丸壺の茶入あり、四角なる茶碗箱の樣なる箱へ入れてあり箱の内を四つに仕切り、袋三つ茶入とをつめて有う袋一つは古田織部の好み、一つは小堀遠州の好み、一つは金森宗和好みなり。或年野村宗二が行しに、話されしは、去比京の加賀屋敷の留守居南部が來りて、度々古筆を極めてもらひし禮使を加賀より登され候ほどに、同道仕候と云しゆへ、逢しに、音物品々ありて、慇懃なる口上にて、今までの禮を述べ、さて別に申入候は、加賀にても専ら此ほど茶をたのしみ申候、夫に付貴地の丸壺の茶入一覽大望ながら、御大切なる物、遠方借用もいたしがたく候ゆへ、此度幸便に御所望申入候間、是非に御四づり下さるべく候、さて此二箱は乏少ながら貴寺御修覆の足しにも成し玉はり候へとて、金子二千兩持たせ越されしが宜く禮を云てもどし、茶入も斷りを云て遣らざりし子細は予僧の身ざして、衣食住乏しからずして、二千兩の入用なし、生涯の樂みを、僅かの金にかへん事理なし、其上所望の體によりては、代りなしにも遣はさんなれども、此度の樣子にては遣はしがたし、左思はずや、もし又二千兩に賣りつかはしなば、其元なども、此度の上りにも大方尋ねられまじきなざ云はれしとなり。 (茶事秘錄)
傳來
津田宗及所持にして其子寵光院開祖江月和尚に傳はり、爾來同院の什物なり。
實見記
大正九年五月十六日、京都市上京區紫野大德寺町寵光院に於て實見す。
口作拈り返し稍深く甑高く下張り、其廻りに黑筋二線あり胴を繞れる沈筋一部途切れたる所あう、口縁に缺け疵あり藥留り高低不規則にして一部稍高く鼠色土を見せ他の一部釉垂れて盆付に達する所あり、底土に赤味を帶び一部缺け落ちたれども糸切頗る鮮明なり。總體紫釉の内に黑釉景色判然と現はれ、殊に置形胴紐の邊より盆附にかけて長くなだれたる者と土際にて稍短く止まりたる者とあり、黑釉溜りの中に少しく青瑠璃色ありて景色一段美事なら、胴筋の上に火膨れ一ヶ所あり、底鼠色土に赤釉掛う、又其傍にヒッッキ一ケ所ありて、糸切の一端を蔽ひたるなど景趣變化言ふばかりなし、内部口緣釉掛う、一ナダレ底中央まで掛りたる所あり、全面轤轤目繞り底中央渦狀を成す、手取輕く、容姿整ひ飽まで品位高き茶入なり。




