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龍光院丸壺

龍光院丸壺

唐物 旧名 宗及丸壺 京都 龍光院 蔵

名称
龍光院が所蔵する宝物の丸壺茶入である。元は津田宗及が所持していたことから「宗及丸壺」ともいう。

寸法
高さ:約6.36センチ
胴径:約6.42センチ
口径:約2.73センチ
底径:約2.73センチ
甑の高さ:約1.82センチ
重量:約53.2グラム

付属物
一 蓋 1枚 巣(くぼみ)あり
一 袋 3つ
萌黄地卍字梅鉢緞子 裏は玉虫 緒は藤色のつがり結び
綾地金入緞子 裏は紫海気 緒は紫
一 箱 桐 白木 筆者は未詳
「丸つほ」
一 添盆 菱形 内側は黒 外側は屈輪
縦径:約19.39センチ 横径:約26.36センチ 底の縦径:約19.70センチ 底の横径:約13.33センチ
箱 桐 溜塗

雑記
唐物丸壺茶入 龍光院の宝物 箱の蓋には小堀遠州の書付で「丸つほ 一箇 盆 丸壺添えの黒塗り菱形で外側の縁が曲がった盆の図は省略する 一箇」。
(寛政11年 都林泉名勝図会)

唐物丸壺 開祖である江月和尚に伝来し所持した宝物。
(雲州松平家本名器録)

天明8年(1788年)9月25日、大徳寺の見物に出向き、4時半に山に登り、瑞源院へ赴き、そこから研首座の案内で山中の諸寺を見物した。
龍光院にて。密庵の掛物を掛けて茶事を行い、茶が終了した後に茶器を一覧した。以下の通りである。
一 井戸茶碗
一 曜変天目
一 油滴天目
一 青貝天目台
一 宗及丸壺
一 筑紫文琳
一 鶴首
一 春慶瓢箪
一 菱盆
一 内赤盆
一 曲輪盆
一 茶杓 宗及作
すべて12品。
(酒井雅楽頭宗雅著 逾好日記)

丸壺の茶入は、筒が長くて口が短いものが好まれる。蓋は茄子茶入の蓋と同じように、落とし込みの蓋で榎の実(つまみ)がつくものである。また、当世の売り買いの言葉で、茶入の筒を「蜜柑」というのは誤りである。それぞれの物の形に似ていることから名を与えたのであり、ゆえに形が茄子、柿、柑子など、それぞれに言い慣わしているのである。「丸壺」と言うのも、筒が丸いため名付けられたのである。
(茶湯正伝集)

「丸壺」というのは蜜柑のように丸いからであり、「蜜柑」という名称は、茶入の胴のことを言うのである。文琳や丸壺などだけを蜜柑と言うのだ。丸壺の形や色は様々であり、大抵は小さな肩を持っている。肩がなくて胴の丸い姿のものもあり、また口の甑が高く、胴が低い茶入もある。
(万宝全書)

円壺(丸壺)長さ(高さ)約7.33センチ、口の差し渡し約3.48センチ、胴回り約21.66センチ、底約3.03センチ。口作りの捻り返しは普通であるが、口の甑は高い。土は薄い赤色だが、微細な砂があるように見える。糸切は華奢である。下釉は薄い色で、黒釉は銀色が強く銀梨子地になっている。上釉は濃い黒釉で、散らし釉も同様であるが、もっとも濃淡の色がある。これを瀬戸釉の唐物と言う。
(茶器弁玉集)

(参考)真珠庵の宗賢は古筆の鑑定に妙を得ており、茶の湯にも志が厚かった。数寄者たちが古筆を見てもらう縁で厚く待遇した。庵の唐紙の襖絵は、蛇足が描いた蘆に雁の絵である。ついに焼失することなく建っていた。また唐物の丸壺の茶入があり、四角い茶碗箱のような箱に入れてあり、箱の内側を4つに仕切って、3つの袋と茶入とを詰めてあった。袋の一つは古田織部好み、一つは小堀遠州好み、一つは金森宗和好みであった。ある年、野村宗二が訪ねて行った際に話されたことには、「先日、京都の加賀藩邸の留守居である南部が来て、度々古筆を鑑定してもらったお礼の使いが加賀から上京されるとのことで、同行してくると言ってきた。会ってみると、贈り物や品々があり、丁寧な口上でこれまでの礼を述べた。そして別に申し入れることには、『加賀でも最近はもっぱら茶の湯を楽しんでおります。つきましては、貴寺の丸壺の茶入を一目拝見したいと大望しておりますが、大切な品であり、遠方へ借用するのも難しいゆえ、この度の便のついでに所望を申し入れます。ぜひお譲りいただきたい。この二箱の金銭は少ないですが、貴寺の修繕の足しになさってください』と言って、金2000両を持参してきた。しかし、よくお礼を言って突き返し、茶入の件も断ってやらなかった。その理由は、自分は僧侶の身として衣食住に困っておらず、2000両の入用もない。生涯の楽しみをわずかな金に換える理由はない。その上、所望する態度によっては代金なしでも譲ってやらないことはないが、この度の様子では譲りがたい。そう思わないか。もしまた2000両で売り飛ばしてしまったら、その元手のことなど、今回の上京でもおそらく尋ねられなかっただろう」と言われたとのことである。
(茶事秘録)

伝来
津田宗及が所持し、その子である龍光院の開祖・江月和尚に伝わり、それ以来、同院の宝物となっている。

実見記
大正9年(1920年)5月16日、京都市上京区紫野大徳寺町の龍光院において実見した。口作りの捻り返しはやや深く、甑が高く下が張っており、その周りに黒い筋が二本ある。胴を巡る沈み筋が一部途切れている所があり、口縁に欠け疵がある。釉薬の止まりは高低が不規則で、一部はやや高くて鼠色の土を見せ、他の一部は釉薬が垂れて盆付(底付近)に達している所がある。底の土は赤みを帯びて一部欠け落ちているが、糸切は極めて鮮明である。全体的に紫釉の中に黒釉の景色がはっきりと現れており、特に置形(なだれ)が胴の紐(筋)のあたりから盆付にかけて長く垂れているものと、土の際でやや短く止まっているものがある。黒釉の溜まりの中に少し青瑠璃色があって景色が一段と見事である。胴の筋の上に火膨れ(気泡の跡)が一箇所あり、底の鼠色の土に赤い釉薬が掛かり、またその傍らにひっつきが一箇所あって、糸切の一端を覆っているなど、景色の変化は言い表せないほどである。内部は口縁に釉薬が掛かり、一つのなだれが底の中央まで掛かっている所があり、全面に轆轤目(ろくろめ)が巡り、底の中央は渦状になっている。手に取ると軽く、姿形が整ってどこまでも品位の高い茶入である。

【原文】

龍光院丸壺

唐物 舊名 宗及丸壺 京都 龍光院 藏

名稱
龍光院什物の丸壺茶入なり。元津田宗及所持せるにより宗及丸壺ともいへり。

寸法
高 貳寸壹分
胴徑 貳寸壹分貳厘
口徑 九分
底徑 九分
甑高 六分
重量 拾四匁貳分

附屬物
一 蓋 一枚 窠
一 袋 三ツ
萌黄地卍字梅鉢純子 裏玉虫 緒つがり藤色
綾地金入純子 裏紫かいき 緒紫
一 箱 桐 白木 筆者未詳
丸つほ
一 添盆 菱形 内黑 外屈輪
縱徑六寸四分 横徑八寸七分 底徑縱六寸五分 横四寸四分
箱 桐 溜塗

雜記
唐物丸壺茶入 龍光院什物 箱蓋遠州書之 丸つほ 一箇 盆 丸壺添黑塗菱形外の縁曲盆の圖略す 一箇。
(寛政十一年都林泉名勝圖會)

唐物丸壺 開祖江月和尚傳來所持什物。
(雲州松平家本名器録)

天明八年九月二十五日、大徳寺見物に相越、四時半登山、瑞源院に相越、夫より研首座案内にても山中諸寺見物。
龍光院 蜜庵かけものかけて茶事、茶終了て茶器一覧如次。
一 井戸茶碗
一 曜變天目
一 油滴天目
一 青貝天目臺
一 宗及丸壺
一 筑紫文琳
一 鶴頸
一 春慶瓢簞
一 菱盆
一 内赤盆
一 曲輪盆
一 茶杓宗及作
すべて十二品。
(酒井雅樂頭宗雅著逾好日記)

丸壺の茶入は筒長にして口の短きを好候也、蓋は茄子の蓋同前に落入蓋の榎實つく也。又當世取賣り詞に、茶入の筒を蜜柑といふは誤なり、其物々の形に似たるを以て名興へり、故になりは茄子、柿、柑子等、それぞれに言ならはし候也、丸壺と言ふも、筒丸き故名付候也。
(茶湯正傳集)

丸壺と云ふは蜜柑の丸き故なり、蜜柑といふ名所は、茶入の胴を云へり。文琳、丸壺等斗りを蜜柑とは云ふなり、丸壺の形色樣々あり、大方小肩を持物なり、肩なくして胴の丸き姿もあり、又口こしき高く胴ひくき茶入もあり。
(万寶全書)

圓壺 長二寸四分二厘、口指渡一寸分半、胴廻り七寸分半、底一寸。口造捻返し尋常なり、但口甑高し、土薄赤色、但し微塵の砂ある様に見ゆるなり、糸切華奢なり、下藥薄色にて、黑藥銀強きに銀梨子地あり、上藥は濃き黑藥なり、散し藥も同事也、尤濃薄き色あり、是を瀬戸藥の唐物と云へり。
(茶器辨玉集)

(参考)眞珠庵宗賢は古筆を極むる事妙を得、茶にも志厚かりし數寄者共が、古筆を見てもふ因みにてあつく待遇しぬ。庵の唐紙は蛇足が繪の蘆に雁なり。つひに燒失なくたてゝ有し。又唐物の丸壺の茶入あり、四角なる茶碗箱の樣なる箱へ入れてあり、箱の内を四つに仕切り、袋三つ茶入とをつめて有り、袋一つは古田織部の好み、一つは小堀遠州の好み、一つは金森宗和好みなり。或年野村宗二が行しに話されしは、去比京の加賀屋敷の留守居南部が來りて、度々古筆を極めてもらひし禮使を加賀より登され候ほどに、同道仕候と云しゆへ、逢しに、音物品々ありて、慇懃なる口上にて、今までの禮を述へ、さて別に申入候は、加賀にても専ら此ほど茶をたのしみ申候、夫に付貴地の丸壺の茶入一覧大望ながら、御大切なる物、遠方借用もいたしがたく候ゆへ、此度幸便に御所望申入候間、是非に御ゆづり下さるべく候、さて此二箱は乏少ながら、貴寺御修覆の足しにも成し玉はり候へとて、金子二千兩持たせ越されしが、宜く禮を云てもどし、茶入も斷りを云て遣らざりし、子細は予僧の身として、衣食住乏しからずして、二千兩の入用なし、生涯の樂みを僅かの金にかへん事理なし、其上所望の體によりては、代りなしにも遣はさんなれども、此度の様子にては遣はしがたし、左思はすや、もし又二千兩に賣りつかはしなば其元なども、此度の上りにも、大方尋ねられまじきなど云はれしとなり。
(茶事秘録)

傳來
津田宗及所持にして、其子龍光院開祖江月和尚に傳はり、爾來同院の什物なり。

實見記
大正九年五月十六日京都市上京區紫野大徳寺町龍光院に於て實見す。口作捻り返し稍深く、甑高く下張り、其廻りに黑筋二線あり、胴を繞れる沈筋一部途切れたる所あり、口縁に缺け疵あり、藥留り高低不規則にして一部稍高く鼠色土を見せ他の一部釉垂れて盆付に達する所あり、底土に赤味を帶び一部缺け落ちたれども、糸切頗る鮮明なり。總體紫釉の内に黑釉景色判然と現はれ、殊に置形胴紐の邊より盆附にかけて長くなどれたる者と、土際にて稍短く止まりたる者とあり、黑釉溜りの中に少しく青瑠璃色ありて景色一段美事なり、胴筋の上に火膨れ一ヶ所あり、底鼠色土に赤釉掛り、又其傍にヒッツキ一ヶ所ありて、糸切の一端を蔽ひたるなど景趣變化言ふばかりなし。内部口縁釉掛り、一ナダレ底中央まで掛りたる所あり、全面轆轤目繞り、底中央渦状を成す手取輕く、容姿整ひ飽まで品位高き茶入なり。

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