水滴を抹茶入に用いることは足利義政に始まるといいます。相阿弥の絵図にもみえて「弦つぽ水滴とも云」とあります。初めは唐物を用いました。また美男鬘を削って大れておいた徳利を茶入に転用したものをも水滴茶入といいます。初代藤四郎の作といわれるものがありますが、この手の瀬戸のものは多くは大永(1521-8)から天正(1573-92)の頃のものが多いとされます。(『君台観左右帳記』『茶器弁玉集』)