中国元朝の進御器で、饒州(景徳鎮)において供造した窯器であります。用命があると製陶し、なければ止めました。各種の式器があるようで、内部に必ず枢府の字号を浮彫りしました。土は必ず細白で、胎は滑らかであります。質は薄いものを貴び、式は多く小足で、装飾には印花がありまた裁金(金焼付)があります。当時これを模造する者があっ穴が、貢進の器は千のうち十、百のうち一を選んだものなので、ついに民窯の及ぶところではなかりました。(『景徳鎮陶録』)