


堪忍肩衝(かんにんかたつき)
唐物 大阪 村山龍平氏 蔵
名称
重厚で円満であり、よく物事に耐え忍ぶような顔立ち(姿)を備えていることから、この銘を選んだものであろう。茶器の名称は、高雅であれば必ずしも良いというわけではなく、通俗的であっても必ずしも悪いというわけではない。この銘のように平凡でありながらも含蓄があり、選んだことは非常に適切であると言える。
寸法
高さ: 約8.2cm(2寸7分)
胴径: 約7.9cm(2寸6分2厘)
口径: 約3.6cm(1寸2分)
底径: 約3.6cm(1寸2分)
甑(こしき)の高さ: 約0.5cm(1分5厘)
肩幅: 約0.8cm(2分5厘)
重量: 約199.1g(53匁1分)
附属物
蓋: 5枚
鯨の牙(義山公御好み、半清作)
大窠半月(肯山公御好み、立古作)
木口玉縁(肯山公御好み、立佐作)
木口窠脇玉縁(肯山公御好み、立佐作)
身窠(遠州好み、半清作)
(備考)義山公は伊達忠宗(政宗の子、明暦4年没)、肯山公は伊達綱村(享保4年没、享年58)の諡号(おくりな)である。
袋: 4つ
毛織(裏地は玉虫色、結び紐は茶色、貞山公(伊達政宗)好み)
大蔵切(裏地は玉虫色、結び紐は白色、遠州好み)
藤言切(裏地は茶色の海気、結び紐は紫色)
木下切(裏地は玉虫色、結び紐は茶色)
挽家(茶入を納める筒): 鉄刀木(たがやさん)
袋(金入り繻珍菊模様、裏地は縞の海気、結び紐は茶色)
箱: 桐 白木
枠内に「堪忍」の文字
添盆: 若狭盆
四方 約20.6cm(6寸8分)、底径 約16.7cm(5寸5分)朱文字で「堪」とある
鏡方(内側の平らな部分)約15.5cm(5寸1分)、高さ 約2.1cm(7分)
箱 桐 白木
枠内に「若狭やん」の文字
添書付
「若狭盆を楊成(ようぜい)と申す塗り物の目利きに見せましたところ、良いものであるとのことでした。その中を見ようとしてロウソクに当てたところ、縁が少しくぼんだように見えましたので、蓋を付けておきました。」
雑記
堪忍肩衝
(『古今名物類聚』拾遺の部より)
堪忍 唐物 松平陸奥守(茶入の図があるのみ)
(帝大史料本『伊達肯山公記録』より)
寛文9年(1669年)己酉4月10日の昼、江戸上屋敷の造営落成のお祝いの宴があり、客として酒井雅楽頭殿、阿部豊後守殿、稲葉美濃守殿、久世大和守殿、永井伊賀守殿などが来られた(中略)。お茶の時間の後、名物の抹茶壺や香合が所望されてお目にかけられた。
(出された道具は)山井、小肩衝、物相、岩城文琳、堪忍、堆朱布袋の香合などである。
(帝大史料本『観瀾閣宝物目録』より)
堪忍肩衝 藤四郎作、高さ約8.3cm(2寸7分半)、胴回り約24.8cm(8寸2分強)、口径約3.6cm(1寸2分強)、底径約3.6cm(1寸2分弱)、重さ約188.6g(50匁3分)。蓋は5つ(鯨の牙 半清作 義山公好み、身淵 遠州好み 半清作、大淵半月 立古作 肯山公好み、香玉縁 立佐作 肯山公好み、もう一つ同上)。袋は4つ(大蔵裂金15枚・裏は壁代で銀2枚 遠州好み、白地金入りモール銀1枚・裏は飛色の壁代 貞山公好み、藤言裂金3枚・裏は阿蘭陀の壁代で金1両、桃花和久田裂金入り・裏は茶色。また、裏が上代の萌黄海気で金10両。丸袋は浅黄の縮緬。挽家は鉄刀木。袋は白地菊桜紋金入り・裏は茶色の古い裏地 肯山公のお取り替え)、卍字の縞。内外が青色の四方盆(箱は白木の桐で、箱に「堪忍の御盆」とある)。
右のものは貞山公(伊達政宗)の時代からあり、金150枚の価値がある。
(備考)『観瀾閣宝物目録』は、明治22年(1889年)12月に仙台伊達侯爵家の家扶(けふ:執事)である作並清亮が編集したものである。
(松山青柯著『つれづれの友』より)
堪忍肩衝 藤四郎作、明治35年(1902年)4月の特別展覧会に出品された。伊達宗基殿の所蔵。袋は4つで、藤言、毛織、大蔵、木下。挽家は鉄刀木。添えられた盆は若狭盆で、底に「徳」の字がある。(茶入の図あり)
伝来
貞山公(伊達政宗)が所持しており、寛文9年(1669年)4月10日に酒井雅楽頭をはじめとする諸大名が伊達家の江戸上屋敷落成のお祝いに訪れた際、当家の宝物である「山井肩衝」「小肩衝」「利休物相」「岩城文琳」とともに、この茶入も披露された。それ以降も引き続き伊達家に伝わっていたが、大正5年(1916年)5月24日の同家の蔵器の入札(オークション)の際に、現在の所持者の手に渡った。
実見記(実際に見た記録)
大正9年(1920年)9月26日、兵庫県武庫郡御影村の村山龍平氏邸において実物を見た。
口の作りは丸みを帯びており、折り返しはなく、甑(こしき)もない。肩はわずかに張っており、ふっくりとした丸みを持ち、胴に至って大きく張り出し、裾から下は急にすぼまっている。全体は栗色の地にやや紫色を帯びており、またその中に柿色に金属光沢を帯びた色(柿金気色)が混じっている。口縁から一部に黄色の釉薬と青色の釉薬が混じり合い、肩先では幅広く、胴に至って細く一筋となり、胴の下に至って黄瀬戸に見られるようなタンパン(胆礬:緑色を帯びた黄色の斑点)の釉薬が現れている。口縁から胴体にかけて大きな傷の繕いがある。右の黄色い釉薬の雪崩(垂れ)に向かって右手に薄い黒釉が両側から垂れ下がり、裾の辺りで一筋となって盆付(底の近く)に至って止まっている箇所がある。裾から下は鉄気色の土が見え、底周りの面取りと糸切りは極めて鮮明でかつ細かく、縁は少し擦れており、糸切りの起点にズレがある。この辺りは箆(へら)で面取りされており、その面の上にも糸切りが現れている。肩先からは轆轤(ろくろ)の目がきりきりと巡っており、少し段になっている所がある。内部は口の縁に釉薬が掛かり、それより下は轆轤の目が浅く、底に至るに従って次第に深くなり、中央が一段窪んでいる。作行きは非常に渋く(大寂び)、どっしりとして重みがあり、全体に丸みを持ち落ち着いた姿は、まさに「堪忍肩衝」の名に背かないものである。
『古今名物類聚』はこの茶入を「唐物」の部に掲載しているが、唐物としてはその容積に比べて非常に重く、糸切りの方向も普通の唐物に見られるものとは逆(右糸切り)である。その土と釉薬は共に唐物よりも古い瀬戸焼に近いのに、なぜ類聚の編者がこれを唐物の部に分類したのか、今となってはその理由を知るのに苦しむ。考えみると、『古今名物類聚』にはただこの茶入の名称と図面が掲載されているだけで、寸法や附属物などについては全く記載がない。おそらく類聚の編者は当時これを実見(直接見ること)ができず、伝聞だけでこれを唐物と見なしたのだろう。このほかにも同書には、当然「古瀬戸」に分類されるべき「山里文琳」や「金森大海」を唐物に分類している事例がある。これはおそらく、昔は名物を直接見ることが容易ではなかった結果として、自然に生じた間違いに過ぎないのだろう。それゆえ、私は最初この「堪忍肩衝」を『大正名器鑑』の第3編「古瀬戸肩衝の部」に分類しようと考えたが、この茶入は『古今名物類聚』以外に古い茶書に記載されたものがなく、したがって他に信頼できる証拠を得ることができなかった。そのため、今はひとまず類聚の編者の意見を尊重し、『大正名器鑑』第1編に掲載されている「唐物肩衝」の追加として、特別に本編の末尾に掲載することとしたのである。
【原文】
堪忍肩衝
唐物 大阪 村山龍平氏藏
名稱
重厚にして圓滿、能く物に堪へ忍ぶべき相好を具ふるを以て、此銘を撰みたる者なるべし。茶器の名稱は高雅必ずしも好からず、通俗必ずしも惡しからず、此銘の如き、平凡にして然も含蓄あり、撰み得て甚だ適切なりと謂ふべし。
寸法
高 貳寸七分
胴徑 貳寸六分貳厘
口徑 壹寸貳分
底徑 壹寸貳分
甑高 壹分五厘
肩幅 貳分五厘
重量 五拾參匁壹分
附属物
一 蓋 五枚
鯨牙 義山公御好 半清作
大窠半月 肯山公御好 立古作
木口玉縁 肯山公御好 立佐作
木口窠脇玉縁 肯山公御好 立佐作
身窠 遠州好 半清作
(備考)義山公は伊達忠宗(政宗の子明暦四年歿す)、肯山公は伊達綱村(享保四年歿年五十八)の諡號なり。
一 袋 四ツ
毛 織 裏玉虫 緒つがり茶 貞山公(伊達政宗)好
大藏切 裏玉虫 緒つがり白 遠州好
藤言切 裏茶かいき 緒つがり紫
木下切 裏玉虫 緒つがり茶
一 挽家 鐡刀木
袋 金入繻珍菊模樣 裏縞かいき 緒つがり茶
一 箱 桐 白木
(枠)堪忍
一 添盆 若狹盆
方六寸八分 底徑五寸五分 朱字(堪)とあり
鏡方五寸一分 高さ七分
箱 桐 白木
(枠)若狹やん
添書付
わかさ盆楊成と申ぬり物めきゝいたし候ものに見せ申候へば、よく御座候、其中を見申候とて、らうそくへなどあたり申候、ふちすこしくぼみしやうに見え候間、ふたをつけ申候。
(古今名物類聚拾遺之部)
堪忍 唐物 松平陸奥守(茶入圖あるのみ)
(帝大史料本伊達肯山公記録)
寛文九年己酉四月十日晝、上屋敷造營落成の賀饗あり、客酒井雅樂頭殿、阿部豊後守殿、稻葉美濃守殿、久世大和守殿、永井伊賀守殿(中略)。茶事の後、名物の碾茶壺及香合所望一覽せらる。
山井 小肩衝 物相 岩城文琳 堪忍堆朱布袋の香合等なり。
(帝大史料本觀瀾閣寶物目録)
堪忍肩衝 藤四郎、高二寸七分半、胴廻八寸二分強、口指渡一寸二分強、底指渡一寸二分弱、量五拾匁三分。蓋五ッ、鯨牙半清作義山公(伊達忠宗)好、身淵遠州好半清作、大淵半月立古作肯山公(伊達綱村)好、香玉縁立佐作肯山公好、一同上。袋四ッ大藏裂金十五枚(裏かべちよろ 銀二枚)遠州好、白地金入もうる銀一枚(裏飛色かべちよろ)、貞山公(伊達政宗)好、藤言裂金三枚(裏阿蘭陀かべちよろ 金壹兩)、桃花和久田裂金入(裏茶(裏上代萠黄海氣金拾兩。丸袋淺黄縮緬、挽家鐡刀木、袋白地菊櫻紋金入(裏茶古裏裂)肯山公御取替)
字縞。内外青四方盆(箱白木桐箱ニ堪忍之御盆トアリ)
右は貞山公時代より御座候、金百五十枚。
(備考)觀瀾閣寶物目録は、明治二十二年十二月仙臺伊達侯爵家々扶作並清亮の編輯せる者なり。
(松山青柯著つれづれの友)
堪忍肩衝 藤四郎、明治三十五年四月特別展覽會出品、伊達宗基殿。袋四ッ、藤言、毛織、大藏、木下。挽家鐡刀木。添盆若狹盆、底に徳ノ字。(茶入圖あり)
傳來
貞山公伊達政宗所持にして、寛文九年四月十日酒井雅樂頭以下諸侯、伊達家江戸上屋敷落成賀筵に來り臨むや、當家の寶物たる山井肩衝(同名物)、小肩衝、利休物相、岩城文琳と共に、此茶入をも展覽に供せり。爾來引續きて伊達家に傳はりしが、大正五年五月二十四日同家藏器入札拂の際、現所持者の手に入る。
實見記
大正九年九月二十六日、兵庫縣武庫郡御影村山龍平氏邸に於て實見す。
口作丸味を帶びて拈り返しなく、又甑なく、肩僅に衝き、フツクリと丸味を持ち、胴に至りて大に張り、裾以下急に窄まる。總體栗色地に稍紫色を帶び、又其中に柿金氣色を交ふ。口縁より一部黄釉青釉と相混じて、肩先幅廣く、胴に至りて細く一筋と成り、胴下に至りて黄瀬戸に見るが如き丹礬釉を現はす。口縁より胴體にかけて大疵繕ひあり、右黄釉ナダレに向つて右手に黒釉薄く双方よりなだれ掛り、裾の邊にて一筋と爲り、盆附に至りて止まる者あり、裾以下鐵氣色の土を見せ、底廻り面取糸切極めて鮮明にして且つ細かく、縁に少しく磨れあり、起點に喰違ひあり、此邊箆にて面取り、其面の上にも糸切現はる、肩先より轆轤キリキリと繞り、少しく段を成す處あり、内部口縁釉掛り、以下轆轤目淺く底に至るに隨ひ、次第に深くなり、中央一段を成して稍窪めり。作行大寂びにてドッシリとして貫目あり、其全體丸味を持ちて沈着したる姿勢誠に堪忍肩衝の名に背かず。
古今名物類聚は此茶入を唐物の部に載せたれども、唐物としては其容積に割合はして目方非常に重く、其糸切も亦普通唐物に見受けざる右糸切なり、其土藥共に唐物よりも古瀬戸に近き方なるに、類聚編者は如何にして之を唐物の部に編入したるや、今其理由を知るに苦むなり、案堪忍肩衝するに、古今名物類聚には唯此茶入の名稱と圖とを擧げたるのみにて、其寸法、附属物等に就て一も記載する所なし、蓋し類聚編者は當時之を實見するに及ばず、傳聞を以て之を唐物と看做したるならん、此外同書には當然古瀬戸に屬すべき山里文琳、金森大海を唐物に編入したる事例あり、是れ蓋し往時容易に名物を實見する能はざりし結果として自然に生じたる錯誤ならんのみ。左れば余は初め此堪忍肩衝を大正名器鑑第三編古瀬戸肩衝の部に編入する考案なりしが、此茶入は古今名物類聚の外、古茶書に之を記載したる者なく、隨て他の信據すべき傍證を得る能はざるが故に、今姑く類聚編者の意見を尊重し、大正名器鑑第一編所載唐物肩衝追加として特に本編末に掲載する事とは爲せり。


