

六条肩衝(ろくじょうかたつき)
古瀬戸 大名物 伯爵 松平直亮氏 所蔵
【名称】
『伏見屋覚書』に「六条肩衝は、昔、東京(京都)の六条家が所有していた」とある。六条家は村上源氏の流れをくみ、その祖である久我有房(こが ありふさ)の邸宅が京都の六条にあったことから家名とした。有房は元応元年(1319年)6月に従一位内大臣となり、子孫は代々続いて大納言を最高位とした。明治時代に至り華族に列せられ、子爵を授けられている。
【寸法】
・高さ:約 8.2 cm(2寸7分)
・胴径:約 5.6 cm(1寸8分半)
・口径:約 2.9 cm(9分半)
・底径:約 2.7 cm(9分)
・重量:約 93.4 g(24匁9分)
(底から帯までの高さ:約 4.2 cm / 1寸4分)
【附属物】
・蓋:1枚(象牙製、不昧公の書付あり)
・蓋箱:桐製、白木
・御物袋:紫の羽二重、緒(紐)は紫
・仕覆(袋):4点
- 銀欄(裏地:織色、緒:崩黄、天:藍、銎:気)
- 石畳古金欄(裏地:玉虫、海:気、緒:紫)
- 金地古金欄(裏地:玉虫、海:気、緒:茶)
- 長楽寺切底大灯(裏地:御納戸色・茶、海:気、緒:紫)
・袋箱:桐製、白木、几帳面取り
・挽家(ひきや):象牙製、中継(なかつぎ)
- 袋:紅毛縞(裏地:茶、字:縞、緒:崩黄)
・内箱:桐製、白木、几帳面取り
・外箱:溜塗(ためぬり)、黒染め錠前付き
・包み物:花布、裏地は御納戸色の茶羽二重
【雑記(文献からの抜粋)】
・『古今名物類聚』
六条肩衝 古瀬戸 大名物 松平出羽守所蔵。高さ約8.2cm、胴径約5.6cm、肩径約4.7cm、口径約2.9cm、盆付約2.7cm、底から帯まで約4.2cm、重量約93.4g。象牙蓋1枚、紫羽二重の御物袋、象牙中継の挽家、紅毛縞の袋(裏地茶、字縞、緒崩黄)、桐白木几帳面箱、溜塗外箱、更紗の包み物10点、袋4点(銀欄、黄天藍絨[裏玉虫、緒紫]、古織好 長楽寺切底大灯[裏かいき、緒紫]、石畳金欄[裏玉虫、緒紫]、金地金欄[裏玉虫、緒茶])、袋箱は白木几帳面、包み物は更紗草。(茶入の図あり)
・『名物記』
古瀬戸六条肩衝 宗対馬守(対馬藩主宗氏)所蔵。(寸法・附属物・茶入図あり)
・『蝸廬亀鑑(かろきかん)』
六条 雲州公(松平不昧)所蔵。柿色が薄く、黒い胡麻状の斑点が全面に斑(むら)となってかかっている。肩が少し張っており、尻張のころ合いで上出来の作である。火間(ひま:釉薬がかかっていない部分)が2つある。ネズミ色の素地に細かい糸切底が見られ、上品である。(寸法・附属物・茶入図あり)
・『瀬戸陶器差鑑』(松平不昧 著)
六条肩衝 古瀬戸である。「破腹(はらきり)」「藻塩(もしお)」と同時代のものである。
・『幣庵文庫 甲第九号』
小瀬戸六条肩衝 柿色の地で口作りの上手。素地は細かく、黒釉が置かれている。糸切は細かく、肩が広がって抜けがあり、黒い小さな石ハゼが斑らにある。肩はやや丸みを帯びている。
・『暢園秘録』
六条肩衝 明和8年(1771年)辛卯の春、大阪にて屋敷払い(売り出し)となった富木八左衛門より購入。現在は松平出羽守殿の所有。(寸法・附属物・茶入図あり)
・『伏見屋覚書』
六条肩衝 古瀬戸 大名物。昔、京都の六条家が所有し、元は宗対馬守の所有であった。安永の頃、江戸の町人である山越利兵衛から買い上げたもの。当時の価値で1,000両相当の逸品。
・『大崎様御道具代御手控』
六条肩衝 安永7年(1778年)、山越の取次により、代金500両および銀30枚で購入。
・『大円庵茶会記』
・文化8年(1811年)10月12日 独楽庵にて 亭主:不昧公
客:本多駿河守、根土宗静、疋田一二
一、床:北澗禅師の墨蹟
一、茶入:六条肩衝(袋:紺地古金欄)
一、花入:石州公一重(花:寒菊、水仙)
一、茶碗:井戸(銘:三芳野)
・文化13年(1816年)2月12日 三畳大目にて 亭主:不昧公
客:本田豊後守、千柄清右衛門、山口宗一、芳村観阿
一、床:用章の墨蹟
一、茶入:六条肩衝(袋:長楽寺)
一、花入:飛龍耳青磁
一、茶碗:刷毛目(銘:山路)
・文化13年(1816年)2月16日 亭主:不昧公
客:松平周防守、松平主税、御詰:良斎
一、床:用章の墨蹟
一、茶入:古瀬戸六条肩衝(袋:長楽寺)
一、花入:礁 飛龍耳(花:桃、連翹)
一、茶碗:古刷毛目(矢倉伝来)
【伝来】
元々は京都の六条家の所有で、後に対馬藩主の宗対馬守へと伝わり、その後大阪の富木八左衛門の所有となった。明和8年(1771年)に京都の道具商・山越利兵衛の手に入り、安永7年(1778年)に同人より代金500両にて松平不昧公に納められたとされる。当時の格付けの金額としては1,000両であったと言われる。大正6年(1917年)4月28日、松江市における不昧公百年忌展覧会の際、松平家より旧松江城内の興雲閣に出陳(展示)された。
【実見記(実物を観察した記録)】
大正7年(1918年)5月27日、松江市の松平直亮伯爵家事務所にて実物を見る。
小ぶりの肩衝であり、口の作りは丸く繰り返しが浅い。口縁に1箇所修理(繕い)がある。全体としては黒飴色の地の上に柿色の斑紋が施されており、置き形(釉薬の流れた痕)の雪崩(なだれ)はやや幅広く、釉薬が溜まった部分(釉溜り)には少し青瑠璃(きれいな青色)が出ている。細い糸切底の中央には丸い窪みがあり、胴の中ほどには沈み筋(筋状の凹み)が一周巡っている。裾から下は鼠色の素地にろくろ目があり、その中に虫喰いのような「ホツレー」の文字の形が現れている。わびた趣が強く、雅味(風雅な味わい)に富んだ、独特な風情を持つ小瀬戸肩衝茶入である。
【原文】
六條肩衝
古瀬戸 大名物 伯爵 松平直亮氏蔵
名称
伏見屋覺書に「六條肩衝昔東京六條家御所持」とあり。六條家は村上源氏にして、其祖久我有房の邸京の六條に在りしを以て氏とす、有房は元應元年六月從一位内大臣たり、子孫相繼ぎ大納言を極官とす、明治に至り華族に列し、子爵を授けらる。
寸法
高 貳寸七分
胴徑 壹寸八分半
口徑九分半
底徑九分
重量 貳拾四匁九分(底より帶まで壹寸四分)
附属物
一蓋 一枚 櫟 書付不味
一蓋箱 桐 白木
一御物袋 紫羽二重緒つがり紫
一袋 四ツ
銀欄(裏:織色、緒つがり:崩黄、天:藍、銎:氣)
石疊古金欄(裏:玉虫、海:氣、緒つがり:紫)
金地古金欄(裏:玉虫、海:氣、緒つがり:茶)
長樂寺切底大燈(裏:御納戸、茶、海:氣、緒つがり:紫)
一袋箱 桐 白木 几帳面
一挽家 象牙 中繼
袋 紅毛縞(裏:茶、字:縞、緒つがり:崩黄)
一内箱 桐 白木 几帳面
一外箱 溜塗 煮黒み錠前付
包物 花布 裏御納戸茶羽二重
雑記
六條肩衝 古瀬戸 大名物 松平出羽守 高二寸七分胴一寸八分半肩一寸五分半、口九分半、盆付九分、底より帶まで一寸四分、掛目二十四匁九分。蓋一枚象牙、御物袋紫羽二重、挽家象牙中繼、袋紅毛縞(裏茶、字縞、緒つがり崩黄)、箱桐白木きてふめん、外箱溜塗、包物更紗拾、袋四ツ、銀欄、黄天、藍絨(裏玉虫、緒つがり紫)、古織好 長樂寺切底大燈(裏にかいき、緒つがり紫)、石疊金欄(裏玉虫、緒つがり紫)、金地金欄(裏玉虫、緒つがり茶)、袋箱白木きてふめん、包物更紗草。(茶入圖あり)
(古今名物類聚)
古瀬戸六條肩衝 宗對馬守にあり。(寸法附属物、茶入圖あり)
(名物記)
六條 雲州公 柿うすく、黒胡麻斑一面にむらく/\とかゝり、允肩少し尻張のころ上作なり、火間二つあり、鼠士糸切こまか、上品なり。(寸法附属物茶入圖あり)
(蝸廬亀鑑)
六條肩衝 古瀬戸なり破腹藻鹽ご同時代なり。
(松平不昧著瀬戸陶器差鑑)
小瀬戸六條肩衝 地柿口作上手士細く置方黒藥、糸切細く、肩ひろげ抜けあり、黒の小さき石はせむら/\とあり、肩は少々丸くなる。
(幣庵文庫甲第九號)
六條肩衝 明和八年辛卯の春大阪に於て屋敷拂になる富木八左衛門相調、今松平出羽守殿(寸法、附属物、茶入圖あり)
(暢園秘錄)
六條肩衝 古瀬戸 大名物 昔京六條家御所持、元宗對馬守候御所持安永の頃東京町人山越利兵衛より御買上に成る當時千兩位の御品。
(伏見屋覺書)
六條肩衝 安永七年山越取次、五百兩銀三十枚。
(大崎樣御道具代御手控)
文化八年十月十二日 獨樂庵にて 主 不昧
客 本多駿河守 根土宗靜 疋田一二
一床 北澗禪師墨蹟
一茶入 六條肩衝袋紺地古金欄
一花入 石州公一重 花寒菊水仙
一茶碗 井戸 銘三芳野
文化十三年二月十二日 三疊大目 主 不昧
客 本田豊後守 千柄清右衛門 山口宗一 芳村觀阿
一床 用章の墨蹟
一茶入 六條肩衝袋長樂寺
一花入 飛龍耳青磁
一茶碗 刷毛目 銘山路
(大圓庵茶會記)
文化十三年二月十六日 主 不昧
客 松平周防守 松平主税 御詰良齋
一床 用章の墨蹟
一茶入 古瀬戸六條肩衝 袋長樂寺
一花入 礁 飛龍耳 花桃連翹
一茶碗 古刷毛目 矢倉傳來
(大圓庵茶會記)
傳來
元京都六條家所持にして宗對馬守に傳はり、後大阪富木八左衛門の有となり、が明和八年京の道具商山越利兵衛の手に入り、安永七年同人より代金五百兩にて松平不昧公に納めしとぞ、而して當時位金千兩なりと云ふ。大正六年四月二十八日、松江市に於ける不昧公百年忌展覧會の際、松平家より舊松江城内興雲閣に出陳せらる。
實見記
大正七年五月二十七日松江市松平直亮伯家事務所に於て實見す。
小形肩衝にして口作丸く括り返し淺く、口緣に一ヶ所繕ひあり、總體黒飴地に柿色の斑紋あり、置形ナダレ稍幅廣く、紬溜りに少しく青瑠璃色あり、細き糸切の底中央に丸形の窪みあり、胴中に沈筋一線を繞らし、裾以下鼠色の土に轆轤目あり、其中に虫喰の如きホツレーの字状を成す、佗び作にて雅味多く、一種異風なる小瀬戸肩衝なり。


