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鶴田 純久の章 お話

大名物。漢作文琳茶入。
名は珠光の所持であったことによります。
珠光ののち天王寺屋宗及所持となり天王寺屋文琳・宗及文琳の別名があります。
だいたい厚づくりで手取りは重いです。
口は小さく甑は低くその廻りが少し凹んでおり、胴が張り、裾以下は朱泥色土をみせ、総体柿金気地にやや鼠色を帯びその中に少し青味を含んだところがあるようで、甑廻りには黒釉が輪状をなしその上に少し蛇蝸釉が掛かっています。
釉色は沈着で種々の景色を現しています。
総体の作行において漢作文琳中一種の特色を有する名物であります。
津田宗及から1539年(天文八)織田信長の所有となりましたが、翌年返却されました。
この間に複雑な事情があったようであります。
のち堺の浪人袴田内匠、細川三斎、徳川幕府を経て南部家に伝わりました。
(『松屋日記』『津田宗及茶湯日記』『山上宗二記』『茶器名物集』『天正名物記』『東山御物内別帳』『玩貨名物記』『大正名器鑑』)

じゅこうぶんりん 珠光文琳

漢作唐物文琳茶入。
大名物。
別名「宗及文琳」。
のちに天王寺屋(津田宗及)が所持したことから、「天王寺屋文琳」とも呼ばれました。
文琳とは中国の故事の中にある話で、林檎を時の国主に献じた文琳郎という官人の名に因んで名付けたといいます。
それゆえ形は林檎を想わせます。
伝来もさることながら、付属物も珠光添文・存星盆・由来書など多数に及んでいます。
また珠光愛蔵に因んで、仕覆も縦縞間道を除いてほかはいずれも小紋様の渋い緞子が添えられています。
古来より小壺には柔らかい織物を用いました。
茶入は端正丸形で口造りは締まり、胴より底までの曲線が美しく、肩に一筋の浮筋のあるのが特徴です。
浅い茶釉が総体にかかり、肩双方から黒釉のなだタガヤサンれがあって、胴紐のあたりで一線となり、見事な置形をなしています。
裾以下は朱泥土が現われ、底の糸切も鮮明です。
【付属物】蓋―八、珠光好三、紹鷗好・利休好・三斎好・古織好・船越伊予守好 仕覆―六、縦縞間道・花色地唐物緞子・青海波紋緞子・有楽緞子・萌黄地宝珠紋緞子・紹鷗緞子(図版右より) 家―鉄刀木、内金梨地、蓋金粉沃懸け存星唐物雲龍四方盆総地朱色、鏡落雲龍文様、緑菊折枝文様、底黒塗箱 黒塗、蓋裏貼紙書付 添幅 村田珠光筆 添状数々
【伝来】村田珠光|津田宗及─織田信長―津田宗及袴田内匠 細川三斎―柳宮御物―南部家
【寸法】 高さ:6.8 口径:2.5 胴径:7.0 底径:3.0 重さ:85

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