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千少庵 せんしょうあん

茶人。干利休の養子、すなわち、利休の後妻宗恩の子。
1546年(天文一五)生まれ。俗名四郎左衛門。宗淳と号しました。
少庵は春屋宗園禅師から授けられた道号。
妻は利休の娘亀。
道安は同年令の義弟に当たります。32、3歳で母と共に干家に入り、よく父の教えを受けて力量を養りました。
有名な利休の竹花入銘園城寺は少庵に与えられたものであるようで、また利休・少庵合作茶杓に「矢瀬」があります。
1591年(天正一九)四十六歳の時父の処刑に遭い、会津の蒲生氏郷にかくまわれましたが、1594年(文禄三)許されて京都に帰り屋敷を小川の本法寺前に移し、ここに千家不審庵再興の基礎をつくりました。
その後家康から五百石の知行を得ましたが、1596年(同五)隠居して子宗旦に家を譲り、1614年(慶長一九)9月7日没しました。
六十九歳。
好みの茶席としては京都西芳寺(苔寺)湘南亭の松庵、会津若松市の麟閣があるようで、好み道具も多いようです。
少庵は和歌をよくし、氏郷の辞世の歌に対して「ふると見ばつもらぬさきに払えかし雪には折れぬ青柳の枝」と詠んだことが知られています。

ウィキペディア(Wikipedia)千少庵 せんしょうあん

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