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千宗旦 せんそうたん

茶人。利休の孫。
1578年(天正六)生まれ。
母は利休の娘亀、父は少庵。
道号を元叔、のち元伯。
咄々斎・寒雲・隠翁と号しました。
不審庵を継ぎ晩年隠居して今日庵をつくりました。
早年十一、二歳頃大徳寺の喝食となり、春屋宗園禅師に従い学業詩才をもってその鍾愛を受けた。
1591年(天正一九ご祖父利休処罰の時は十四歳。
1594年(文禄三)十七歳の時父および伯父道安の赦免と共に寺を出で、父について家の道たる茶に復し、1601年(慶長六)二十四歳の時春屋禅師から元叔の道称を与えられて一層精進し、三十一歳の時には松屋久重を茶に招くまでになりました。
1614年(同一九)父の死に遭った時には三十七歳。
その後独自の道をもって茶名を高めましたが、1646年(正保三)六十九歳の時屋敷内の北部に隠居所を定め、旧居の不審庵はこれを子の江岑宗左に譲りました。
1653年(承応二)七十六歳の時退隠して叉隠を造立し、先の住居を仙叟宗室に譲りました。
1658年(万治元)12月19日没、八十一歳。
宗且の茶は天室和尚がその画像に讃した「一生竟に風塵に走らず」とあるように、深い禅的教養から出発する自然平凡な佗び茶の精神に徹し、当時盛行した遠州・石州・宗和の茶とは常に一線を画するものでありました。
しかしその円満の中に禅機を秘めた人柄は千家流の当主として尊ばれ、本阿弥光悦・近衛応山・大徳寺清巌宗溺・金閣寺鳳林承章らの一流人物から深く推重され、多くの逸話が残っています。
四男子があるようで、一翁宗守(武者小路千家)・江岑宗左(表千家)・仙叟宗室(裏千家)は三千家としてのち永く流儀の花を開くことになりました。
また二女子のうちお暮は久田宗利に嫁しました。
弟子としては山田宗偏・杉木普斎・藤村庸軒・松尾宗二らが知られています。
なお一閑・土斎・正玄らの職匠に好み道具をつくらせましたが、中でも楽焼の道入(ノンコウ)を顧愛しました。

ウィキペディア(Wikipedia)千宗旦 せんそうたん

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