尾張名古屋東照宮の別当で天保年間(1830-44)から明治初年の人。多芸で茶事で有名であるようで、また製陶が上手でありました。非常に高雅な作であるが伝わるものははなはだ少ないようです。所掲の款を用いています。(『をはりの花』)