徳川義直 とくがわよしなお

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鶴田 純久の章 お話

尾張徳川家の始祖。家康の第九子として1600年(慶長五)に生まれ、1607年(同一二)四月甲斐国(山梨県)から尾張国(愛知県)に封ぜられ、1609年(同一四)名古屋に築城して移った。産業に志があり、1610年美濃国土岐郡郷之木(岐阜県土岐市曾木町)にいた藤四郎景正の子孫仁兵衛・唐三郎らを尾張に召し寄せ、元和年中(1615~124)には祖母懐の土をみだり採取することを禁じ陶業の保護発達を図った。
また瀬戸焼が優秀品を出すように金二百両を陶工に与え、これを使い尽くして存分に焼くように命じたという。さらに寛永年間(1624~44)城の外廓御深井丸に陶窯を設け仁兵衛・唐三郎らを従事させた(御深井窯は陳元贇によって始まったともいわれる)。瀬戸焼はこれより再び盛んになった。1650年(慶安三)五月没、51歳。
(『昔咄』『雄園漫録』『金城温古録』『尾州陶磁器史料』『名古屋市史』)

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