山本神右衛門 やまもとしんえもん

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鶴田 純久の章 お話

肥前国(佐賀県)鍋島藩士。初め大木役所横目(林務の監察役)であったが、当時有田磁器は製造家大膨張のため山林乱伐となり早晩焼造不能となる恐れがあったので、神右衛門は藩命で1637年(寛永一四)三月十五日限り特別関係を除いた日本人八百二十六人(男五三二、女294)の立退端E廃業を断行した。さらに従来の税額銀二貫匁を年額六十貫匁に増し、かつ官有林を指定した。この間窯焼より種々不承知の訴えがあったがよくこれを鎮圧して、その年末には完全に納税を完了させた。そして新たに開業する者からは多額の納金を取って名代札を与え業者を統制した。1648年(正保五)皿屋代官となったのちも各種の制を定め、山林の輪伐、並びに山請と称し資産家に製品の一手販売を命ずるなどの方法を講じた。1668年(寛文八)没、80歳。(『山本神右衛門家譜』『肥前史談誌』)

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