田代清治右衛門 だしろせいじえもん

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鶴田 純久の章 お話

福島県相馬市中村の相馬駒焼の創始者。
初名五郎左衛門信清(五右衛門・源五右衛門ともある)。
野野村仁清に学んでから清治右衛門と称したと伝えられます。
相馬焼開創の年代には異説が多い子孫が継業して十四代に及んです。
なお十一代清治右衛門為清は1867年(慶応三)京都に上り、その駒焼を禁中に奉献して「大貳法橋」の位記を賜り、それより法橋の印を用いました。
(『日本近世窯業史』)※そうまやき

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