筑前国(福岡県)黒田藩の臣。
茶道南坊流の祖。
名は重根、通称五左衛門。
実山のほかに宗有とも称し、松月庵・而生斎・来也堂・寸魚堂の諸号があります。
藩主光之に用いられ累進二千五百石を給されました。
光之の世子綱之が廃嫡となった時実山は綱政を擁立しましたが、1707年(宝永四)光之の没後隠居し、翌年10月10日綱政の刺客に殺されました。
五十四歳。
1686年(貞享三)京都で南坊本録五巻を、1690年(元禄三)堺の納屋宗雪から後録二巻を入手し、編集して『南方録』をつくりました。
これは1690年の利休百年忌に暗合する利休回帰運動の一つの現れといわれています。
のち秘伝として身辺少数の人にこれを伝え、やがて南坊流の祖とされました。
博学英敏で和歌をよくし詩文に長じ、また禅を崇福寺の古外宗少に学びI山和尚とも道交がありました。
著書に『壺中炉談』『岐路弁疑』『実山茶湯覚書』があります。
『茶道古典全集』第四巻参照。