酸化鉄を多分に含んだもので彩料・釉料にされます。
釉下に用いて黒褐色の画様を現すものは朝鮮李朝初期に多くみられ、朝鮮ではこの紅殻質の原料を石間殊と呼び、それで描成されたものを石間殊器と呼んでいます。
絵唐津・志野・絵瀬戸は鉄砂画で、李朝鉄砂と同一系統に属します。
中国北宋の黒定窯、南宋の南定窯などで黒釉地の上に鉄砂の赤透色で描画したものを鉄鋳花と呼び、これに結晶の出たものがよいとされます。
鉄砂は釉料に用いて天目・海鼠・柿・蕎麦・飴などの釉をなす。
ただし普通に鉄砂釉と呼ばれるものは、直接に砂鉄を用いて金晶紋を出したもの、また普通の鉄質黒釉の赤変したものを指します。
前者は古く瀬戸地方に行われ、黒浜と呼ぶ鉄粉を使って金色の結晶釉を現わし、これを金流しまたは金気釉と称しました。
後世あるいは高取釉と呼んでいます。
同様のものを出雲地方では瀬戸流しと呼びます。
これで釉法の伝播した経路を想像できます。
また鉄の酸化焔による呈色である赤褐色の釉は、古来最も広く行われたもので、宋代の定窯の紫定その他にこれがみられ柿天目などといわれています。
瀬戸その他の赤瓶などの柿釉は鉄砂釉です。
(『匋雅集』『日本近世窯業史』『朝鮮陶磁名考』)