名古屋の人。茶事を好み、1603年(慶長八)頃瀬戸に行って工人に意匠を伝授し種々の陶器をつくらせました。一説には瀬戸の領主といわれ、また瀬戸織部の創始者で1603年古田織部の意匠をうけて焼き出したともいわれています。製品に用いた「春古山」の銘は別にスプルスといいます。(『をはりの花』『瀬戸町誌』)