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人物

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服部十左衛門 はっとりじゅうざえもん

伊勢国(三重県)津藩士。安永・天明(1772-89)の頃安東焼の陶工良助の作に下絵付を施しました。またこの人を安東焼の創始者とする説があります。(『本朝陶器放証』『陶器類集』)
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花藤四郎 はなとうしろう

真中古茶入の一手、口の周りに置紋があります。梅鉢や笹の葉などを紋にするゆえに花藤四郎の銘があります。土は浅黄色。口造り捻り返しはよく、糸切は細く華奢であります。地釉は濃い柿色。また黄藤四郎という茶入が一通りあるようで、地釉黄飴釉に艶のよい黄...
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馬場藤太夫 ばばとうだゆう

明治中期の肥前現川(長崎県諌早市)の陶工。※うつつがわやきパピヨン朝鮮語で花瓶のこと。朝鮮、特に李朝においては花瓶として専用につくられたものははなはだ少ないようであります。当時わが国および中国には花瓶が多く、また高麗にも優秀なものがありまし...
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浜田義徳 はまだよしのり

熊本県八代町(八代市)の人。1904年(明治三七)有田工業学校第一回卒業生として草場見節の陶場に人り、唐津焼の復興に尽力しました。のち中国北京の芸徒学堂の教師に招聘され、1909年(同四二)には推薦されて朝鮮の汗頭浦の三和高麗焼(富田儀作が...
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原文次郎 はらぷんじろう

陶磁研究家。1870年(明治三)金沢藩儒原規矩郎の長男として生まれ、東京高等商業学校(現一橋大学)卒業後一時教員をしていましたが、転じて実業界に人り、さらに1923年(大正一二)に愛知県商昂陣列所長となって在職六年ののち、1928年(昭和三...
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長谷川常時 はせがわつねとき

備前国(岡山県)池田侯の御抱え絵師。紀州徳川家の典医三慶の次男で、画法を狩野常信に受け、養辰または観梅堂と号しました。子の常雄と共に備前焼の下絵を多く描き、また御庭焼の絵付をしました。三代幸芳・四代昆芳・五代芳幸・六代芳景。(『日本陶甕史』...
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長谷川半七 はせがわはんしち

美濃国(岐阜県)恵那郡岩村藩の陶器方。1830年(天保元)薩主松平能登守の命により「岩村物産」の名で駄知(土岐市)産の陶器を諸国に販売しました。(『岐阜県産業史』)
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八屋珍左衛門 はちやちんざえもん

但馬国(兵庫県)出石焼の陶工。1789年(寛政元)肥前有田へ赴いて磁法を研究し、その目的を達して帰来しました。藩侯より資金を貸与され、出石郡日野辺村字兵太(出石町日野辺)に窯を開きましたが、成果がみられずのち中止しました。(『日本陶甕史』)
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土師豊麿 はじのとよまろ

724年(神亀元)7月、土師豊麿が新羅国に派遣されたことが『続日本紀』にみえます。これを陶法を学ぶためとする意見もありますが、当時土師氏はやきものには直接の関係がなく疑わしいです。
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橋本屋安右衛門 はしもとややすえもん

加賀国(石川県)金沢の陶器商。1827年(文政一〇)藩の産物方役所に所属していた若杉窯の経営を譲り受け、1833年(天保四)特に若杉の姓を許されました。また金沢川南に販売店を設け大いに繁盛しました。(『九谷陶磁史』)※わかすぎがま