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人物

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河野忠次 こうのちゅうじ

明治初年の温故焼の陶工。大雅と号しました。同焼創始者清水平七の弟勇助(号石僊)と図って県の補助を受けて石僊陶業改良会を起こし、大いにその改良発展をなしました。
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弘法善治 こうぼうぜんじ

文化・文政期(1804-30)の尾張瀬戸の陶工加藤善治。弘法大師像二千体をつくり人々に施与したのでこの名があります。※かとうぜんじ
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高麗左衛門 こうらいざえもん

長門国(山口県)萩焼の祖。本名李敬、韓峯の号があります。文禄・慶長の役(1592-8)後毛利輝元に従って来ました。そして輝元の命により製陶の適地を求め阿武郡椿郷東分村松本(萩市椿東)に良土を得ました。そこで輝元は居所・山地を与えました。李敬...
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香蓮 こうれん

明治の東京の手握ね女流製陶家。本名服部ツナ。1850年(嘉永三)生まれ。蓮葉その他の細密彫刻に長じ茶器・筆洗・香炉などをつくりましたが、特に女人塑像に巧妙で海外にもその名声が伝わりました。初め四谷(新宿区)の室住寛の妻から伝習し、1877年...
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郡山喜納太 こおりやまきのうた

薩摩国(鹿児島県)の陶画工。1895年(明治二八)島津忠義が御庭焼研究所を始めると招かれてここの画工となりました。のち下荒田町(鹿児島市)に錦手窯を自営し絵付をなしました。(『薩摩焼総鑑』)
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耕山 こうざん

京都清水焼の陶工丸屋源兵衛の号。幕末から明治初期にかけての人。東丹波で砂質ハデ土を発見しこれに京都東山の土を混ぜて唐津焼を模作しましたが、この模作においては当時京都第一の名手と称され判別が非常に困難な程であります。二代耕山も模作専門であった...
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高道 こうどう

尾張常滑の陶工。初代高道は通称を庄右衛門といい、1778年(安永七)生まれ。祖先より農業のかたわら製陶に従いましたが、いつの頃からか継櫨を始め製品は巧みでありました。かつて小納戸陶器御用を勤め、文政年間)1818-30)村方庄屋を勤役しまし...
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鴻池道億 こうのいけどうおく

大阪の富商、茶人。1655年(明暦元)生まれ。姓は山中、通称弥三兵衛、光漸・凡斎・松原庵と号し、晩年入道して万峯道億居士と称しました。その光漸の号は陸羽の字に因むものといわれます。家は山中鹿之助の子幸元から出て代々酒造を業とし、のち両替商と...
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源十郎 げんじゅうろう

天正(1573-92)より元禄(1688-1704)の間に名工と伝えられる数人の源十郎がいます。美濃国(岐阜県)大萱窯の開祖加藤源十郎、京都の茶入作者の源十郎、飛騨国大野郡江名子(岐阜県高山市江名子町)の源十郎などがいて、同一人だとも別人だ...
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源介 げんすけ

京都の陶工。洛北御菩薩池(深泥池)の付近に窯を築き仁清の指導の下に製陶に従事しました。茶器・花瓶・菓子器その他の雑器を出しましたが、軟滑な原土に灰白色釉を施し、これに彩画を加えたところなどまさしく粟田焼と同系統のものであります。「御菩薩」の...