烏井京山 とりいきょうざん

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鶴田 純久の章 お話

明治初期の東京の陶工。
初代京山は江戸の生まれで、京都に赴いて陶法を学び、帰って向島(墨田区)の三圖神社付近に開窯して製陶に従りました。
二代京山はもと尾張国(愛知県)の人で、初代の養子であります。
いずれもその作に押銘「京山」または書銘「スミタカワ京山造」を用いました。
なお当時江東木下川に別邸をもっていた勝海舟は、しばしば京山に命じて焼かせたことがあるようで、その器に「安房」または「海舟」と自ら書銘しました。
ただしモースの『日本陶器目録』には、京山焼は勝海舟が邸内に窯を築き京都から陶工を招いてつくらせたとあります。
しかし京山の子孫である烏井庄左衛門によりますと、江東の勝家別荘内には窯はなかったとのこと。
京都より招いた陶工とはおそらく初代京山の誤伝であるでしょう。
(『陶磁』七ノ四)

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