納屋助左衛門 なやすけざえもん

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鶴田 純久の章 お話

和泉国(大阪府)堺の商人。
通称呂宋助左衛門。
納屋は菜屋または魚屋とも書きいわゆる納屋衆の一人であります。
1593年(文禄二)呂宋(フィリピン)へ渡航し翌年7月帰国、代官石田杢助を通じて豊臣秀吉に傘・蝋燭・生きた僻香獣二匹を献じ、かつ真壺五十佃を進覧しました。
秀吉は大いに喜び利休に相談してこれを上中下の三級に区分し、各々に価格を付けて望みの者に分けましたので、助左衛門は五、6日の間に巨額の利益を得ました。
彼はのちに秀吉の機嫌を損じふらりと故郷を出てカンボジアに渡り、1607年(慶長十二)国王の信頼を得て日本渡航貿易商人の監督になったといわれます。
ただし利休の自害を1591年(天正一九)とすれば、1594年(文禄三)利休云々というのは不審。
(『当代記』『醒睡笑』『重修続王代一覧』『糸乱記』『商人鏡』『朱印船貿易史』『堺市史』)

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