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鶴田 純久の章 お話
破風窯
破風窯

尾張瀬戸の陶工四世藤四郎政連。
初名を藤九郎といい、三世藤四郎の子。
嘉暦(1326-9)・建武(1334-8)年間に本家を相続し、世に破風窯といわれました。
そのつくる茶入が屋根の破風形に地胎を残して施釉したためであります。
その作行は破風手の一種蒼味のある白土のものを除けば、他はおおむね赤色土中にやや黒味を帯びたもので、砂気は少ないようです。
糸切は荒く、下釉は赤味のある褐色で茶釉または黄釉の順れがあります。
翁手・凡手・口広手・渋紙手・皆の川手・音羽手・正木手・橋立手・玉川手・米市手・市場手・破風手などを破風窯の作として数え、撮底手・摺粉木手・捻貫手・胴/手などをもこれに加えることもあります。
しかしこれらすべてを破風窯の作とすることについては異説があるようで、事実その作風をみれば、新古さまざまでとうてい同一窯の作品とは考えられず、単に作風の近似による類別と思われます。
『別所吉兵衛一子相伝書』の当時の作者の条にも「浪屋権右衛門、きりきりす手藤浪手とも云、破風手也、此窯にて渋紙ツマミ底伜八左衛門焼」との記事があります。
(『古今名物類聚』『茶器弁玉集』『宝樹庵窯分』『茶道笙蹄』『工芸志科』『高麗茶碗と瀬戸の茶入』『大正名器鑑』『茶道名物考』)※はふで※ちゃいれ

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