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鶴田 純久の章 お話
半使
半使

高麗茶碗の一種。
判事・判司・半洲などさまざまな字を当てます。
『万宝全書』に「半使とは高麗より来朝せし使の名なり則茶碗の名に用ゆ形は色色あるようで、柿にはたそり、地柿に青かはり、ほり三島、出的三島等也、又半洲共書楸、薬景色色替わり有」とあります。
『釜山窯卜対州窯』によれば「判事は朝鮮の訳官の尊称にして徳川将軍家よりの見本により朝鮮にて訳官の監督の下に作りしものなり、此茶碗には種類様様あるようで、焼き方は全く朝鮮式にして重ね焼の目あるもの多し、宗家の蔵にありしものの中には伊羅保、渋紙手向きのもの多し、見本により何の作意なく造りしところに強さもあり朝鮮の味もあり」といいます。
『高麗窯茶器』に従うと「判司の茶碗には時代の新古さまざまにて古きは三百年以上新しきは極めて近代のものあるようで、いずれも通じて半使釉と称せらるる一種特徴ある釉を被る、即ち鼠色に微しく黄色みがかれる色合にてその中に所所ぼつぼつと赤く円き斑現はる、この斑の染みはその地土の中に含みたる塩分の火加減によりて現はれしものなり、その土質は赤みを帯びたる白土なり」とみえます。
諸書にみえる半使茶碗の種目は次のようなものであります。
半使井戸・半使呉器・端反半使・半使柿の手・半使青替わり・遊撃半使・半使三島・半使堅手・紅葉判事・真判事・御本手判事・杉形判事・茂三半使・常の朝鮮判事など。
一般に数が多ければ貴重さは薄れるものであります。
半凄茶碗が数多く渡来したことは、丹下宗閑の記述に「一半ス始ハ至て重宝し井戸熊川二つづき用しを後半使一度二どっと渡り候故数多物二なり候」とあります。
半使青替わり はんすあおがわり半使茶碗のうち、焼が足らず釉の熔解が十分でないため青く上がったものです。
(『高麗窯茶器』)半使井戸 はんすいど半使釉が器物の全面さらに高台をも包んで、土が見えないものです。
(『高麗窯茶器』)半使柿の手 はんすかきのて半使茶碗のうち形と釉が独特なもので、すなわち形は腰のあたりから斜めに上に開いた格好で、釉は熟柿のように真っ赤に火変わりとなったものであります。
これは地土の中に多量の塩分を均一に含んでいる結果であるだろうといいます。
(『高麗窯茶器』)半使堅手 はんすかたで土味・作振りは半使の手で、それに堅手の本手のような潤んだ淡青釉が掛かったものです。
(『高麗茶碗と瀬戸の茶入』)判使釉 はんすぐすり判使茶碗の釉色をいいます。
やや黄色味がかった鼠色の中に淡紅色の円い斑紋が不規則に点在する(概して下部に多い)。
また胎土は赤味を帯びた白土で斑紋の中心に必ず針先程の小孔があります。
半使呉器 はんすごき形は呉器で半使釉を掛けたものです。
少し赤味があるようで、めぬりのない堅出来であります。
高台は一般に小さく、自然な箆目があるようで、作りは薄手で大振りなものが多いようです。
この種のものに餅子という茶碗の外に茶釉の円い文様のあるものがあります。
時に青い釉変わりもあります。
慶長(1596-1615)頃の渡来品であります。
(『高麗窯茶器』『茶盆図彙』)半使三島 はんすみしま半使の手の釉立ちで、これに白の象嵌で暦手文を施したものをいいます。
(『高麗窯茶器』)

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