中国五代の後周の柴窯の青器釉であります。伝えられるところによりますと、世宗は陶器の式を稟請する書に「雨過ぎて天青く雲の破るる処、者般きの顔色を作し将ち来たれ」の批語を下したといいます。これによって雨過天青器・雨過天青釉の名がありますが、いろいろ異説があって単なる伝説に過ぎないとするものもあります。