雲山肩衝 うんざんかたつき

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鶴田 純久の章 お話

大名物。
漢作肩衝茶入、旧名佐久間肩衝、または金森肩衝。
『茶器便覧』に「雲山は切なり、紫地へ共色にて模様織出す、此切れを懸けしより名とす」とあります。
もと豊臣秀吉所持、佐久間不于斎に伝わりさらに堺の某家に移り、その後金森出雲守可重が黄金百錠で買い求め、その子重頼の時に一時幕府に献上したが再び同家に返納されました。
1643年(寛永二〇)丹後国(京都府)宮津城主京極丹波守高広に伝わり、その没後弟の高三から伊予国(愛媛県)松山城主松平隠岐守定直に贈られました。
定直は高広の娘婿の子であります。
のち1784年(天明四)松山城天守閣の雷火の際火気に遭いましたが、幸いにもその原形は失われず現在に及んでいます。
焼けたままで何も補修を加えていないようです。
(『大正名器鑑』)

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