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鶴田 純久の章 お話

彦根藩窯湖東焼の陶工喜平の弟。
また喜作ともいいのち若林寿山と称しました。
土焼師文助の工場にいたが弘化年間(1844-8)藩窯の御抱えとなり、大皿を得意としたため皿作りの名を得、また青磁を最も得意として湖東焼中その右に出るものはないといわれ、1857年(安政四)閏5月二人扶持を給されましました。
藩窯廃止後喜平の山口窯に従事しましたが、のち京都に移り幹山の工場に入り、蹴轍櫨を用いて挽き物に従事し、宮内省の御用品を製造したこともあります。
また長浜湖東焼にも従事しました。
1906年(明治三九)10月没、七十四歳。
(『湖東焼之研究』)

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