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鶴田 純久の章 お話

茶道筌蹄に「高麗人来たりて唐津にて焼し故高麗の方より奥といふ事なり」とあり、然れども奥は古きといふ意味なり。此種の陶器肥前唐津にて焼しか、或は朝鮮の或る地方にて造りしか、今之を確知するに由なしと雖も、兎に角一手古きを以て奥高麗とは呼ぶなるべし。『大正名器鑑』より今日では唐津と認識されている奥高麗ですが、大正名器鑑では異なる分野に属しています。帰来したばかりの朝鮮陶工が作ったものでどちらの産か判明しにくい為の名称なのか、あまりにも高麗に似ている唐津という意味なのか判断しがたいです。高麗の時代は唐津で焼かれ始めた時代とは異なる為「奥李朝」のはずです。漠然とではありますが、唐津の中で高麗に似たものを奥高麗としょう。奥高麗,茶碗,銘「深山路」(みやまじ) 

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