口几手 くちはげで

marusankakusikaku
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鶴田 純久の章 お話

加藤四郎左衛門景正(初代藤四郎)の入宋前の瀬戸茶入で、わが国茶入の根元だといいます。
景正は尾張瀬戸で初めて茶入を焼きましたが、この時はまだ焼き方の鍛練もなく、口を下にして焼いたので口縁に釉が掛からず、それで口几手といい、その姿も悪く手厚で無道なものだといいます。
景正はその後宋に渡り陶法を学んで帰国し、いっさいのやきものに土で厘鉢をつくり底を下にして焼き出しました。
そのため釉もよく熔け土も融和してにっとりと見事であるといいます。
口几手の茶入はだいたい大振りで、小さい茶入はまれであるといいます。
(『茶器弁玉集』)

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