尾張国瀬戸(愛知県瀬戸市)以外の諸国で焼いた茶器のこと。
茶道での窯分けでは、瀬戸を本窯とし他をすべて国焼といいます。
ただし京都には種々の陶窯があるようで、各地から陶土を取り寄せたり、また御室・粟田・聚楽などの陶土で各種の器物を製作しましたので、これまた別格として国焼中に加えないことがあります。
諸国の陶窯でその起原が瀬戸よりもなお古いものがありますが、土質の良否、陶工の巧拙、もしくは場所の関係などによりそれぞれ盛衰興亡を異にして、一時相応に発達した陶窯も、今はまったく跡を絶ったものもあるようで、また日用一般の製品だけに限り、茶入・茶碗のような意匠と技巧を要する作品には触れないものもあります。
特に茶入は諸陶器中最も難物ですので、国焼中で茶入を出した陶窯は至って少なく、たまに製作してもその中からいわゆる名物を出したものはわずか数窯にすぎないようです。
国焼より名物を出しだのは小堀遠州時代だけで、その前後においてほとんどその例をみないのは、結局遠州のように茶入の形状・釉色などについて特殊の興味を持った者が、各窯の長所に当てはめて特に注文したような茶入にして初めて名物の資格を具え得るためであるでしょう。
もちろん多少の例外もないわけではないがI国焼茶入の名物が多くは遠州の手沢を経たものに限られているような事実があるのは、以上の理由によるのであるでしょう。
国焼中で名物茶入を出した陶窯は、薩摩・祖母懐・高取・備前・丹波・膳所・唐津・信楽・志土呂などに過ぎないようです。
(『日本陶甕史』『大正名器鑑』)