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鶴田 純久の章 お話

尾張常滑の陶工。
初代高道は通称を庄右衛門といい、1778年(安永七)生まれ。
祖先より農業のかたわら製陶に従いましたが、いつの頃からか継櫨を始め製品は巧みでありました。
かつて小納戸陶器御用を勤め、文政年間)1818-30)村方庄屋を勤役しました。
天性算数に長じ新田築立の地割りなどは自分でしたといいます。
現在使用している雄輔を使用し始めたのはこの高道と二代長三らこの地における率先者たちであったといいます。
1839年(天保一〇)没、六十二歳。
二代高道(通称庄三郎)は1801年(享和元)生まれ。
父の名を継いで高道といきました。
尾張十二代藩主の巡視の際に琥輔製作を供覧した一人で、その技術を賞され馬盟・花瓶などの調製の命を承りました。
その門に森下由五郎・滝田椿渓がいます。
1868年(明治元)没、六十九歳。
(『常滑陶器誌』)

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