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鴻池道億 こうのいけどうおく

大阪の富商、茶人。
1655年(明暦元)生まれ。
姓は山中、通称弥三兵衛、光漸・凡斎・松原庵と号し、晩年入道して万峯道億居士と称しました。
その光漸の号は陸羽の字に因むものといわれます。
家は山中鹿之助の子幸元から出て代々酒造を業とし、のち両替商となり巨富を積んです。
茶を好み鴻池宗羽・住友友昌らと交わり、茶道具の目利鑑定をもって聞こえ、元禄(1688-1704)・享保(1716-36)時代の富豪茶人の中心的人物でありました。
近衛予楽院の許へ出入りしすこぶる重んぜられたことは『槐記』によっても知られます。
特に茶祖珠光を慕い家蔵の名器も多かりました。
道億の茶は「又花実といふ事あり花は客を得てもてなし礼賓の格式をいふ也、実は一切道具に付て真偽尊卑古新を見分しり一切故実に入るをいふなり……然りといへとも一切道具により其品あるが故にそれに基づき此道に入る」(『道億考古録』)、「一切目利御かてんなく候ては御茶は如何に被存候目利は第一御けいこ可被遊候」(「友昌宛状」)というように、目利から真実を追究する一種の道具茶でありました。
1736年(元文元)9月3日没、八十二歳。

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