Picture of 鶴田 純久の章 お話
鶴田 純久の章 お話

高さ:5.1~5.2cm
口径:15.1~15.2cm
高台外径:3.5~3.6cm
同高さ:0.3cm

加賀藩侯、前田家に伝来した玳玻盞です。やや大きめの平茶碗で、ゆったりと広がるその見込みに、尾長鳥ふうの飛鳥紋と、小花をつけた枝葉とが相対した、あざやかな意匠です。この折り枝紋は、また風にそよぐ何か木の梢のようにも見え、軽やかに飛翔する尾長鳥とも、よく調和がとれています。覆輪は、やや厚めの砂張りで、鈍く光っているのが好もしいです。
高台は吉州窯独特の、例の小さく粗略な作りですが、高台ぎわの切り箆は、きりりと鋭く冴え、その高台の部分だけが土見になっていて、堅く焼き締まった、黄白の、粗い素地膚が現れています。釉薬はまた、常のごとく二重がけで、内外黒釉の上に、白萩とか、ワラ白とか呼ばれる、海鼠ふうの灰釉で、紋様を出す方法です。外側は、簡単に飛沫を振りかけるだけにしておき、内面は剪紙の型を利用して、黒く型抜き模様にしています。吉安付近に多く繁茂する竹が、この種灰釉の原料になっているらしいです。それにしても、灰釉の微妙な溶融はすばらしく、青と黄と赤みが、複雑、しかも繊細に入り交じって、海鼠ふうに美しく変化する中に、濃く、あざやかな赫黒の紋様が浮き出る効果は、全く感嘆のほかありません。その灰釉は、おそらく型の上から、吹きつけたもの老想像されますが、要は、紋様が手先で描かれたものでなく、剪紙の型によっているということをも、強調すべきでしょう。
剪紙細工は、中国では古い伝統をもつ、民間工芸であって、唐以来、広く流行をつづけているものですけれども、これを陶技に応用して、かくも成果をあげ得だのは、ひとり宋代吉州窯だけです。
新中国になってから、吉州窯址出土の好資料が、多く紹介されていて、剪紙によるこの種の玳玻盞にも、なお興味ある例が少なくありません。しかし、やはりわが国に伝世するものに、ひときわすぐれた作が残っているという事実は、建窯の天目におけると同様です。
なお、この茶碗ですばらしいのは、付属の網袋でしょう。美しい紅色の紐を、大小の亀甲つなぎに編んで網袋とし、緒つがりは、標色という配色のよさです。茶碗をこれに包んだところは、そのままで、また艶やかな飾りにもなっています。昔の茶人の、すぐれた意匠カに、感服せざるを得ません。
付属品は、そのほかに、内箱桐春慶塗蓋表金粉字形「能皮盞」外箱桐蓋表書き付け「たいひさむ」金森宗和と伝えています。
加賀前田家の伝来で、それ以前のことはわかりません。現在は京都某家蔵。
(藤岡了一)

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